東遷で祖神に祈願した神武天皇が創祀、10月に2夜連続ふとん太鼓
[住所]大阪府東大阪市六万寺町3-14-31
[電話]072-981-1615

梶無神社(かじなしじんじゃ)は、大阪府東大阪市六万寺町にある神社。御朱印の有無は不明。

延喜式』巻9・10神名帳 畿内神 河内国 河内郡「梶無神社」に比定される式内社(小社、鍬)。近代社格では村社。

生駒山の南、鳴川峠から西へ下る途中にある六萬寺山の西麓街中に鎮座している。当社の西約200メートルを、東高野街道が南北に通じている。

社伝によれば、初代神武天皇が東遷の際、船を白肩津から入江深く溯らせてきたものの、生駒颪により浪高く、梶折れ、海上を漂揺する危機になった。

神武天皇が祖神に加護を求め、祈祷を籠めたところ、強風も鎮まり、波も穏やかになって、附近の丘に船を付けて上陸することができた。

神武天皇は、祖神の加護に感謝し、その上陸した地に祖神の瓊瓊杵尊木花開耶姫命を御祭神として祠を建てたという。これが当社の創祀。

古代においては、日下の入り江はずっと南に入り込み、その低湿の地に近い下六万寺3丁目3番付近から5世紀頃ごろの祭祀遺跡である石製模造品が出土している。

また、平安時代の延久4年(1072年)9月5日の太政官牒によると、この祭祀遺物が出土した西側から、今の近鉄線の南側に至る六町四方に「梶無里」があったことがわかっている。

この「梶無里」は、当社の所領または神田の所在地であったともいわれ、現存する「小字梶無」は「梶無里」36の坪のうち17・18の坪にわたるあたりである。

当社は「船山大明神」「桜井の社」ともいわれ、鎮座地周辺は古代の河内国河内郡に設けられた七郷の一つである桜井郷の中心地で、大化の改新まで桜井屯倉が設けられた。

明治5年(1872年)、村社に列した。

慶長16年(1611年)7月、享保6年(1721年)8月、文化元年(1804)3月にそれぞれ本殿の造営の記録がある。また、昭和10年(1935年)12月、平成7年(1995年)7月にも造営。

本殿の庇取付部は隅木無しの春日造りで室町時代の様式を今に伝えている。昭和10年の造営以前は、本殿の屋根は檜皮葺で、本殿全体が覆屋で覆われていた。

例祭は10月23日で、秋季大祭。前日の22日が宵宮祭で、2日連続でふとん太鼓の巡行がある。夏祭が8月15日、春季大祭が3月15日に斎行される。

境内社に、桜井神社(大己貴命)、春日神社(天津児屋根命・比売命・経津主命武甕槌命)、白峯神社(崇徳天皇)、八幡神社(誉田別尊)、十二社権現社(堂の宮)がある。

【ご利益】
水難除け、交通・海上安全、事業成功、夫婦和合、家内安全
梶無神社 大阪府東大阪市六万寺町
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