呉の国の機織・縫製技術を持つ穴織媛を奉斎、秀頼が社殿を再建
[住所]大阪府池田市綾羽2-4-5
[電話]072-751-4652

伊居太神社(いけだじんじゃ)は、大阪府池田市綾羽にある神社。地元では「いこた」神社と呼ばれることも。参拝すれば、御朱印を頂ける。

延喜式』巻9・10神名帳 畿内神 摂津国 河辺郡「伊居太神社」に比定される式内社(小社)の論社。近代社格では郷社。現在は神社本庁に属さない単立神社。

第15代応神天皇の時代、機織・縫製技術を得るために呉の国に派遣された猪名津彦命が、呉王に乞い連れ帰った4姉妹のうち、池田の地に迎えられた穴織媛を、穴織大明神として祀る。

「あやはとりのひめ」と読み、綾織媛とも表記される。地名「綾羽」の由来。4姉妹は他に呉服媛(くれはとりのひめ)・兄媛(えひめ)・弟媛(おとひめ)。

第16代仁徳天皇76年に穴織媛が死去し、その翌年に仁徳天皇がこの地に創建したと伝わる。池田市内に現存する最古の神社とされる。

呉服媛が祀られ、池田駅側にある呉服神社が「下の宮」とされるのに対し、五月山山麓にある当社は「上の宮」とされ、互いの関係は深い。当社は上秦社とも。

平安時代草創期の延暦4年(785年)、桓武天皇の勅命により社殿を新たにし、応神天皇、仁徳天皇も奉斎した。

貞観2年(860年)、清和天皇の勅定により社殿が修復され、天禄2年(971年)9月にも社殿が修復された。

鎌倉時代末期の正中2年(1325年)、後醍醐天皇が穴織宮居伊太神社と命名、南北朝時代の暦応2年(1339年)、足利尊氏により拡張されたという。

安土桃山時代の天正年間(1573年-1592年)、荒木村重が反し、織田信長が入国、その際に社殿が焼失した。

江戸時代初期の慶長9年(1604年)、豊臣秀頼が片桐且元を普請奉行に命じて社殿を再建した。これが現在の社殿となるという。

明治6年(1873年)8月、村社に列し、明治20年(1887年)6月に現社号に改称した。

8月にだんじり祭りがある。88段ある石段を、一段一段しっかりと、人力で巨大なだんじりを担いで上がっていく様は見もの。

また、11月には伊居太祭り(いけだ祭り)が開催される。

境内社に、猪名津彦神社がある。宇保町に鎮座していたものを遷したもの。ただし、現在、宇保町の旧地に社殿が再建されている。

なお、式内社「伊居太神社」の論社は他に、兵庫県尼崎市下坂部に同名の神社がある。

【ご利益】
機織り、アパレル産業、事業成功
伊居太神社 大阪府池田市綾羽
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