弥生時代からの聖地、八木氏の祖神を奉斎、唐臼のタブーと雨乞い
[住所]大阪府岸和田市中井町2-7-1
[電話]072-445-2191
夜疑神社(やぎじんじゃ)は、大阪府岸和田市中井町にある神社。参拝すれば、御朱印を頂ける。
『延喜式』巻9・10神名帳 畿内神 和泉国 和泉郡「夜疑神社」に比定される式内社(小社)。近代社格では郷社。
弥生時代の遺跡で有名な「天の川」のほとり、天の川低湿地の小高い所に鎮座している。
天の川沿いに池尻・大町・小松里・箕土路・下池田・中井・荒木・吉井などの氏地内の各所で弥生遺跡が出土している。
池尻・中井では、縄文時代の遺跡も確認されており、時代が下って池尻を中心に古墳群、氏地内全域にわたって条里制の遺構がある。
八木の地は肥沃で水利も良く、古くから拓けた所であった。「陽疑」「揚貴」「八木」などと表記されたこともあるが、いずれも「やぎ」と読む。
鎮座地の「中井」は『和泉誌』に「旧名 中八木」と記されており、八木の中心=八木一族居住の本拠地であったと思われる。
創建年代は不詳。主祭神は布留多摩命。『新撰姓氏録』に「八木造。和多罪豊玉彦の児、布留多摩命の後なり」とある。
八木がなぜ「夜疑」なのか。布留多摩命は豊玉彦の娘である玉依毘売命に相当する。姉の豊玉姫命が竜宮城から遊びに来て、二人の姉妹は夜通ししゃべり通した。
朝の早い里の家々では、はやくも唐臼をつく音が響き、鶏が一斉に時を告げた。豊玉姫命は慌てて海に戻っていった。これを御祭神の布留多摩命が名残惜しみ、嘆いたという。
そのため、当社の氏子は唐臼を使うことがタブーとされた。代わりに横臼を使うことを御祭神にお願いし、許可をもらったという。
鎌倉時代後期の正応2年(1289年)正月の『和泉国神名帳』に「八木社」とある。
境内にある雨淵は、かつて干害の年に神告によってここを掘って幣帛を納めるとたちまち水があふれ出て、雨を降らせたと伝えられる。
古来、雨乞いの神として付近住民の信仰を集めた。江戸時代末期に岸和田藩御用絵師津田雲渓が描いた「雨乞絵馬」が伝わり、市文化財に指定されている。
明治5年(1872年)、村社に列した。旧来、当社は中井一村の氏神だったが、明治41年(1908年)からの八木郷各村に祀られた氏神を合祀して以来、八木郷の総氏神となった。
現在、八幡大神・春日大神・菅原大神を配祀し、品陀和気命・菅原道真・天照大神・天手力男神・犬飼宿祢・狹依毘売命・保食神・素盞鳴命・武甕槌神・経津主神・天児屋根命・比咩大神・栲幡千千姫命・少名毘古那神・水分神・伊弉那美命を合祀する。
現在の氏子地域は、中井町・吉井町・荒木町・下池田町・箕土路町・西大路町・小松里町・額町・額原町・大町・池尻町と忠岡町北出・忠岡町高月。
明治43年(1910年)に神饌幣帛料供進社に指定され、昭和18年(1943年)に郷社に昇格した。
例祭は10月5日。10月体育の日の前々日にはだんじりの宮入りがある。8時半頃より宮入が始まり、9時半頃には全11台が揃う。
宮座の行事も残っており、例祭の前日である10月4日に湯立て神事がある。旧暦7月7日には牛神祭がある。七夕ゆかりの古式の行事。
境内社に、稲荷神社・市杵島神社(弁天社)・夜疑戎神社がある。
【ご利益】
祈雨・天候、五穀豊穣・商売繁盛、安産・子育て(公式HP)
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・大阪府の神社 - 本サイトに掲載されている神社で、大阪府に鎮座している神社の一覧
[電話]072-445-2191
夜疑神社(やぎじんじゃ)は、大阪府岸和田市中井町にある神社。参拝すれば、御朱印を頂ける。
『延喜式』巻9・10神名帳 畿内神 和泉国 和泉郡「夜疑神社」に比定される式内社(小社)。近代社格では郷社。
弥生時代の遺跡で有名な「天の川」のほとり、天の川低湿地の小高い所に鎮座している。
天の川沿いに池尻・大町・小松里・箕土路・下池田・中井・荒木・吉井などの氏地内の各所で弥生遺跡が出土している。
池尻・中井では、縄文時代の遺跡も確認されており、時代が下って池尻を中心に古墳群、氏地内全域にわたって条里制の遺構がある。
八木の地は肥沃で水利も良く、古くから拓けた所であった。「陽疑」「揚貴」「八木」などと表記されたこともあるが、いずれも「やぎ」と読む。
鎮座地の「中井」は『和泉誌』に「旧名 中八木」と記されており、八木の中心=八木一族居住の本拠地であったと思われる。
創建年代は不詳。主祭神は布留多摩命。『新撰姓氏録』に「八木造。和多罪豊玉彦の児、布留多摩命の後なり」とある。
八木がなぜ「夜疑」なのか。布留多摩命は豊玉彦の娘である玉依毘売命に相当する。姉の豊玉姫命が竜宮城から遊びに来て、二人の姉妹は夜通ししゃべり通した。
朝の早い里の家々では、はやくも唐臼をつく音が響き、鶏が一斉に時を告げた。豊玉姫命は慌てて海に戻っていった。これを御祭神の布留多摩命が名残惜しみ、嘆いたという。
そのため、当社の氏子は唐臼を使うことがタブーとされた。代わりに横臼を使うことを御祭神にお願いし、許可をもらったという。
鎌倉時代後期の正応2年(1289年)正月の『和泉国神名帳』に「八木社」とある。
境内にある雨淵は、かつて干害の年に神告によってここを掘って幣帛を納めるとたちまち水があふれ出て、雨を降らせたと伝えられる。
古来、雨乞いの神として付近住民の信仰を集めた。江戸時代末期に岸和田藩御用絵師津田雲渓が描いた「雨乞絵馬」が伝わり、市文化財に指定されている。
明治5年(1872年)、村社に列した。旧来、当社は中井一村の氏神だったが、明治41年(1908年)からの八木郷各村に祀られた氏神を合祀して以来、八木郷の総氏神となった。
現在、八幡大神・春日大神・菅原大神を配祀し、品陀和気命・菅原道真・天照大神・天手力男神・犬飼宿祢・狹依毘売命・保食神・素盞鳴命・武甕槌神・経津主神・天児屋根命・比咩大神・栲幡千千姫命・少名毘古那神・水分神・伊弉那美命を合祀する。
現在の氏子地域は、中井町・吉井町・荒木町・下池田町・箕土路町・西大路町・小松里町・額町・額原町・大町・池尻町と忠岡町北出・忠岡町高月。
明治43年(1910年)に神饌幣帛料供進社に指定され、昭和18年(1943年)に郷社に昇格した。
例祭は10月5日。10月体育の日の前々日にはだんじりの宮入りがある。8時半頃より宮入が始まり、9時半頃には全11台が揃う。
宮座の行事も残っており、例祭の前日である10月4日に湯立て神事がある。旧暦7月7日には牛神祭がある。七夕ゆかりの古式の行事。
境内社に、稲荷神社・市杵島神社(弁天社)・夜疑戎神社がある。
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