奈良朝の創建、北条時頼が社号を奉じる、室町期本殿が重文、イボ平癒
[住所]京都府亀岡市旭町宮ノ元23
[電話]0771-29-5152
梅田神社(うめだじんじゃ)は、京都府亀岡市旭町宮ノ元にある神社。御朱印の有無は不明。
創建は奈良時代直前の和銅2年(709年)。御祭神は天児屋根命。
鎌倉時代、北条時頼(1227年-1263年)が諸国巡行した際、当地出身の家臣を伴い印地村鎮守社としての当社に参拝した。
その際、現社号を奉じ、「印地村諸家にて春秋の祭祀を絶やすことなく、子孫に伝えて祭祀を忘るる事なかれ」と言い残したと伝わる。
建武5年(1338年)、執権北条高時が家臣に命じて社殿を造営した、とされる。しかし、この年にはすでに鎌倉幕府はなく、南北朝の時代であり、高時も死去後。
ともかく、室町時代になり、長禄3年(1459年)に再建された。これが現在の本殿であり、一間社流造、檜皮葺屋根。国の重要文化財に指定されている。
建武5年造営、長禄3年再構は、附指定されている11枚の棟札によるもの。高時ではない誰かが、建武5年に造営したことは確かか。
天正年間(1573年-1592年)には明智光秀による丹波侵攻があり、被害を受けたが、社殿は兵火を免れたという。
室町時代には領主細川氏が、船井郡米山に築城した際に、当社を鬼門の守護神として崇敬したという。
境内には樹高12メートル、胸高幹周2.2メートルのムロノキの他、ケヤキやツバキなどが亀岡の名木の指定を受け、境内全体としても、亀岡の自然100選に選ばれている。
境内社に、弁財天社・事代主社・薬師堂・大黒社がある。また、境内には小さな宝篋印塔があり、昔から疣神様として信仰を集めている。
塔の一番上の擬宝珠と次の屋根との間に凹みがあり、そこに米粒を供え、その米の汁を一心に祈りながらイボにつけると、イボが取れるという。
【ご利益】
学業・受験合格、病気平癒
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その際、現社号を奉じ、「印地村諸家にて春秋の祭祀を絶やすことなく、子孫に伝えて祭祀を忘るる事なかれ」と言い残したと伝わる。
建武5年(1338年)、執権北条高時が家臣に命じて社殿を造営した、とされる。しかし、この年にはすでに鎌倉幕府はなく、南北朝の時代であり、高時も死去後。
ともかく、室町時代になり、長禄3年(1459年)に再建された。これが現在の本殿であり、一間社流造、檜皮葺屋根。国の重要文化財に指定されている。
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