ろくろ挽きを考案したとされる惟喬親王を木地師の祖神として奉斎
[住所]滋賀県東近江市君ヶ畑町977
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大皇器地祖神社(おおきみきぢそじんじゃ)は、滋賀県東近江市君ヶ畑町にある神社。近代社格では村社。御朱印の有無は不明。

平安時代前期の寛平10年(898年)の創祀と伝わる。木地師の祖神として惟喬親王を祀る。神紋は十六菊。

惟喬親王がこの地に住んでいた際、小椋信濃守久長と小椋伯耆守光吉に命じて木地の器を作らせたという。

皇位を逸して後、都を逃れ、当地に移った親王が、巻物のひもにヒントを得て考えついたといわれるろくろ挽きの業を当地の人々に伝授したという。

親王の幽棲地とされる隣接の金龍寺は「高松御所」と呼ばれた。この縁起により、惟喬親王がろくろ業の祖神として信仰され、当社は木地師の根源社と称した。

近くには、惟喬親王が勧請したと伝わる八幡宮がある。現在は筒井神社で、八幡神の他、惟喬親王も祀る。

この筒井八幡も木地師の根源社を称し、当社との間で氏子狩りが行われ、結果的に全国に散っていた木地師に大きな影響力を有することになった。

この両社の争いは、白川家が神官を務めた当社と、吉田家が神官を務めた筒井神社による木地師の氏子の囲い込み、という背景があったとされる。

明治5年(1872年)まで、正月・5月・9月に国家安泰・皇家永久の祈祷符を宮中に納めていた。

「白雲山小野宮大皇器地祖大明神」とも称したが、明治15年(1882年)に現社名に変更した。明治26年(1893年)には内務省から保存資金が下賜された。

昭和34年(1959年)、弥次郎こけしの産地として知られる宮城県白石市福岡八宮に御分霊を勧請した。現在の小野宮惟喬親王神社である。

例祭は4月第1日曜日。1月3日と9月9日に御供盛行事が行われる。氏子の若衆ら11人が神饌を調理し、神前に供える儀式。なますえ神事とも呼ばれる。

境内社に、多賀神社・蛭子神社がある。境内にはスギの巨樹が林立している。樹齢は不明ながら、樹高は50メートル近くあるものも。

文化財として、木地盆(5品)がある。上述の『氏子狩帳』が現存し、県の民俗文化財に指定されている。

ちなみに、惟喬親王を祀る神社に、京都市北区雲ケ畑に惟喬神社がある。

【ご利益】
産業振興、地域振興、事業成功
大皇器地祖神社 滋賀県東近江市君ヶ畑町
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