皇位を逸し、高雲宮の隠棲した惟喬親王を祀る、寵姫?の雌鷹伝承
[住所]京都府京都市北区雲ケ畑出谷町岩ノ奥42
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惟喬神社(これたかじんじゃ)は、京都府京都市北区雲ケ畑出谷町岩ノ奥にある神社。近代社格では村社。参拝すれば、御朱印を頂ける。

創建年代は不詳。平安時代初期の文徳天皇の第一皇子・惟喬親王を祀る。

惟喬親王(これたかしんのう。844年-897年)は、第55代文徳天皇の第一皇子、母は紀名虎の娘である静子。

嘉祥3年(850年)、右大臣藤原良房の娘である明子との間に第四皇子惟仁親王が生まれ、惟仁親王が皇太子になる。後の清和天皇である。

先例のない皇位継承は、文徳天皇の良房への気兼ねと、惟喬親王の母が藤原一門ではなく紀氏の出自だったためともいう。

皇位を失った惟喬親王は、天安2年(858年)、大宰師・弾正尹・常陸太守、貞観14年(872年)、上野太守などの役職を歴任した。

貞観14年に病となり出家、素覚と号し、洛北小野に隠棲した。一説に、惟仁親王立太子の際に出家したともいう。

岩屋山金峯寺に宮を建て住んだともいう。耕雲入道と名乗り、宮を耕雲寺(高雲禅寺)としたとも。在原業平、紀有常らも親王のもとを訪れた。

業平を含む、紀貫之が撰した『古今和歌集』の序文に記された6人の代表的な歌人「六歌仙」は、いずれも惟喬親王とゆかりがある、とする説もある。

惟喬親王が皇位を失ったために、同時に失脚した者たちが六歌仙であり、『古今和歌集』は親王と六歌仙の鎮魂歌である、と。

別に、貞観10年(877年)、雲ケ畑に移り、現在の雲ケ畑出張所付近に造営された高雲宮で出家したとも。現在の高雲寺はこの宮に由来するもの。

当社は、臣下や村人たちが親王の徳を奉祀するために創建された。京都や滋賀の山間部では、親王に対する信仰が強く、各地で木地師の祖との伝承が残っている。

滋賀県東近江市には筒井神社や、大皇器地祖神社があり、大皇器地祖神社を勧請した小野宮惟喬親王神社は宮城県白石市に鎮座する。

『拾遺都名所図絵』によれば、親王が寵愛していた雌鳥がこの地で病死したため、ここに祠を建てたといい、この縁から当社は「雌社」「雌鳥社」とも呼ばれる。

一説に、この雌鳥は雌鷹で、女性のたとえ、つまり、新王の寵姫だったとも。新王が薨去の際、この雌鷹が鳴き、その鳴き声で里人は新王の異変を知ったとも伝わる。

例祭は5月、秋祭は11月で、通称「火焚祭」。当社の近くに賀茂川の水源地がある。

【ご利益】
諸願成就、出世開運
惟喬神社 京都府京都市北区雲ヶ畑出谷町岩ノ奥
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惟喬神社 京都府京都市北区雲ヶ畑出谷町岩ノ奥の御朱印