西園寺家の鎮守、公望が私塾立命館を創設した地、技芸上達のご利益
[住所]京都府京都市上京区京都御苑内
[電話]075-211-1857

白雲神社(しらくもじんじゃ)は、京都府京都市上京区京都御苑内にある神社。近代社格では無格社。「妙音弁財天」「御所の弁天さん」とも。参拝すれば、御朱印を頂ける。

御祭神は宗像三女神の1柱である市杵島姫命。生け花、琴などの技芸上達、水の神として消防関係、財宝の神の信仰などがある。

鎌倉時代の元仁元年(1224年)、西園寺公経(藤原公経)は、北山殿造営の際に西園寺妙音堂を建立し、妙音弁財天を祀った。

別当である成就心院の回向により、第86代後堀河天皇(在位:1221年-1232年)准母である皇后邦子内親王が臨幸した。

年代は不明ながら妙音堂は一時、赤八幡京極寺に遷された。

豊臣秀吉夫人の北政所が、大坂城より京都に移った際、一時、三本木に住んだとされるが、これが現在の当社東裏付近とされる。

江戸時代中期の明和6年(1769年)、西園寺邸の現在地付近への移転に際し、西園寺公晃、西園寺賞季が勅許を得て邸内に妙音堂を再興した。

以後、妙音堂は禁裏御祈祷所と定められた。寛政年間(1789年-1801年)には、巳の日講が結ばれた。

江戸時代後期の天保10年(1840年)と安政3年(1857年)に社殿が修復された。

明治元年(1868年)、東京遷都にともない西園寺家は東京へ移った。神仏分離令後により廃祀の危機に瀕した。

明治2年(1869年)、この地に西園寺公望が私塾立命館を創設した。ただ、京都府庁による差留命令により1年弱で閉鎖になった。

明治11年(1878年)、妙音堂は地元有志の尽力により、かつての鎮座地名にちなみ、現社号に改称し、存続することになった。

衣笠村等持院字滝ヶ鼻、現在の京都市北区等持院東町近く、立命館大学衣笠キャンパス東門南側に西園寺公望の別邸「萬介亭」があった。

昭和14年(1939年)、この「萬介亭」を購入した白居万太郎は、邸内の一隅に当社の御分霊を勧請した。

例祭は6月15日。11月10日にお火焚祭がある。

鎌倉時代の作で、慶派仏師の湛慶の作風と伝わる非公開の木造弁才天坐像がある。西園寺妙音堂旧本尊と考えられている。二臂の琵琶弾奏形の弁才天坐像で、最古例。

偏額は西園寺公望の筆になる。境内社に福寿稲荷神社がある。もとは西園寺家の屋敷神。

なお京都御苑内には、花山院家の鎮守社だった宗像神社、九条家の鎮守社だった厳島神社と、当社と同様、邸内社の背景を持つ神社が残る。

【ご利益】
技芸・スポーツ上達、金運、火防
白雲神社 京都府京都市上京区京都御苑内
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白雲神社 京都府京都市上京区京都御苑内の御朱印