南稲村と植田村の鎮守、室町期に牛頭天王を勧請、江戸期の鼻高面
[住所]京都府楽郡精華町大字植田小字上山122
[電話]0774-93-1770
稲植神社(いなうえじんじゃ)は、京都府相楽郡精華町植田上山にある神社。御朱印の有無は不明。
室町時代の長禄年間(1457年-1460年)に勧請、創建されたという。南稲八妻・植田両地区を氏子地域とする。御祭神は建速須佐之男命。
春日大社を勧請したともされるが、御祭神から考えても何かの間違いか。むしろ、元祇園と呼ばれたようで、勧請元も京都八坂神社だろう。
当初、牛頭天王社と称したが、後に祇園社となった。応仁の乱(1467年-1477年)などで焼失し、一時期衰微したが、後に再建。
一部に、衰微の理由として「源平の争乱」も加わったものが見受けられるが、創建時期から考えて、これも何かの間違いかと思われる。
ただし、室町期の勧請ではなく、文字通りの元祇園として、創祀は実ははるかに遡る、という可能性もなくはない、のかもしれない。
もともと「上田の社」と呼ばれていたという。上田村のみの氏神。これに南稲村も加わり、上田村が植田村となって、稲植という社号が生まれたという。
明治以前は神宮寺として東福寺があった。江戸時代に作られたヒノキ製の鼻高面、文化8年(1811年)の箱書のある輿などがある。
例祭は10月17日。境内社として、八幡宮、天満宮、熊野宮、八王子社、四ノ宮がある。当社に隣接して、三宝大荒神社がある。
【ご利益】
厄災除け、病魔退散

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稲植神社(いなうえじんじゃ)は、京都府相楽郡精華町植田上山にある神社。御朱印の有無は不明。
室町時代の長禄年間(1457年-1460年)に勧請、創建されたという。南稲八妻・植田両地区を氏子地域とする。御祭神は建速須佐之男命。
春日大社を勧請したともされるが、御祭神から考えても何かの間違いか。むしろ、元祇園と呼ばれたようで、勧請元も京都八坂神社だろう。
当初、牛頭天王社と称したが、後に祇園社となった。応仁の乱(1467年-1477年)などで焼失し、一時期衰微したが、後に再建。
一部に、衰微の理由として「源平の争乱」も加わったものが見受けられるが、創建時期から考えて、これも何かの間違いかと思われる。
ただし、室町期の勧請ではなく、文字通りの元祇園として、創祀は実ははるかに遡る、という可能性もなくはない、のかもしれない。
もともと「上田の社」と呼ばれていたという。上田村のみの氏神。これに南稲村も加わり、上田村が植田村となって、稲植という社号が生まれたという。
明治以前は神宮寺として東福寺があった。江戸時代に作られたヒノキ製の鼻高面、文化8年(1811年)の箱書のある輿などがある。
例祭は10月17日。境内社として、八幡宮、天満宮、熊野宮、八王子社、四ノ宮がある。当社に隣接して、三宝大荒神社がある。
【ご利益】
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