平安前期に勧請された学問・平和の神、慶大三田キャンパスの隣り
[住所]東京都港区三田2-13
[電話]03-3451-5420
春日神社(かすがじんじゃ)は、東京都港区三田にある神社。近代社格では村社。三田春日神社とも。参拝すれば、御朱印を頂ける。
三田村の鎮守で、現在は慶応大学三田キャンパスの隣りに鎮座しており、学問・平和の守護神として知られ、地元では「春日さま」として親しまれている。
平安時代前期の天徳2年(958年)、武蔵国国司藤原正房卿が任国の際、大和国春日大社の御神霊を武蔵国荏原三田邑に勧請した。御祭神は、天児屋根命。
この三田邑は港区三田の現在地ではなく、目黒区三田。この地には現在も目黒三田春日神社が鎮座している。目黒三田春日神社は現在、当社の兼務神社。
戦国時代の天文年間(1533年-1555年)、現在地に遷座した。
江戸時代前期の寛永2年(1625)、上野に寛永寺が建立され、東叡山末の妙禅院が当社の別当となる。「三笠山神宮寺」と称し、僧侶が社務を司った。
江戸期には三田春日明神社と称され、その様子は、『江戸名所図会』にも描かれた。江戸府内唯一の春日社として、徳川将軍はじめ江戸城登城の諸大名の崇敬も厚かった、という。
明治5年(1872年)、村社に列した。『江戸名所図会』に描かれた、総欅造りで彫刻も見事だった社殿は、昭和20年(1945年)の東京大空襲によって焼失。
戦後の昭和34年(1959年)に現在の社殿が再建された。平成6年(1994年)には、近隣の旧飯倉町鎮座の赤羽稲荷神社を境内社として遷座した。
境内社は他に、福徳稲荷神社がある。
例祭は9月9日に近い金・土・日曜日。日曜日には各町神輿勢揃いがある。3年ごとに神社御神輿各町渡御がある。また、2月3日には節分祭がある。
授与品として、花守を用意している。全6種類あり、願い事によって違う。当社の花の季節(春・秋)限定で、数量にも限りがある。
【ご利益】
学業・受験合格、立身出世(公式HP)

【関連記事】
・東京都の神社 - 本サイトに掲載されている神社で、東京都に鎮座している神社の一覧
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春日神社(かすがじんじゃ)は、東京都港区三田にある神社。近代社格では村社。三田春日神社とも。参拝すれば、御朱印を頂ける。
三田村の鎮守で、現在は慶応大学三田キャンパスの隣りに鎮座しており、学問・平和の守護神として知られ、地元では「春日さま」として親しまれている。
平安時代前期の天徳2年(958年)、武蔵国国司藤原正房卿が任国の際、大和国春日大社の御神霊を武蔵国荏原三田邑に勧請した。御祭神は、天児屋根命。
この三田邑は港区三田の現在地ではなく、目黒区三田。この地には現在も目黒三田春日神社が鎮座している。目黒三田春日神社は現在、当社の兼務神社。
戦国時代の天文年間(1533年-1555年)、現在地に遷座した。
江戸時代前期の寛永2年(1625)、上野に寛永寺が建立され、東叡山末の妙禅院が当社の別当となる。「三笠山神宮寺」と称し、僧侶が社務を司った。
江戸期には三田春日明神社と称され、その様子は、『江戸名所図会』にも描かれた。江戸府内唯一の春日社として、徳川将軍はじめ江戸城登城の諸大名の崇敬も厚かった、という。
明治5年(1872年)、村社に列した。『江戸名所図会』に描かれた、総欅造りで彫刻も見事だった社殿は、昭和20年(1945年)の東京大空襲によって焼失。
戦後の昭和34年(1959年)に現在の社殿が再建された。平成6年(1994年)には、近隣の旧飯倉町鎮座の赤羽稲荷神社を境内社として遷座した。
境内社は他に、福徳稲荷神社がある。
例祭は9月9日に近い金・土・日曜日。日曜日には各町神輿勢揃いがある。3年ごとに神社御神輿各町渡御がある。また、2月3日には節分祭がある。
授与品として、花守を用意している。全6種類あり、願い事によって違う。当社の花の季節(春・秋)限定で、数量にも限りがある。
【ご利益】
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