戦国期の創祀、江戸後期に一山行者が中興「木曾御嶽山関東第一分社」
[住所]東京都大田区北嶺町37-20
[電話]03-3720-3333
御嶽神社(おんたけじんじゃ)は、東京都大田区北嶺町にある神社。近代社格では村社。「嶺の御嶽神社」として知られる。参拝すれば、御朱印を頂ける。
戦国時代の天文4年(1535年)頃の創建と伝わる。当初は御嶽社と呼ばれ、成立したばかりの嶺村の小さな社にすぎなかった。
江戸時代後期の天保年間(1831年-1845年)、木曾御嶽山(木曽御嶽山)で修業をした修験者一山行者が当社を中興、「木曾御嶽山関東第一分社」として改めて勧請した。
主祭神は、国常立命・国狭槌命(国狭槌尊)・豊雲野尊。天保2年(1831年)に現在の大きな社殿を建立した。
宮大工の藤原篤意の作という見事な彫刻が施された本殿が現存し、拝殿には「三社宮」の扁額がかかる。この社殿が現在、区の文化財に指定されている。
以後、江戸や関東地方各地からから御嶽山の信者を中心に参拝者が増え、当社を3回参拝すれば、本場の木曾御嶽山と同等のご利益があるとまで言われた。
江戸時代以降も、昭和から平成の現在も各地の講社が定期的に参拝にくる。嶺町地区の村社として、地域の氏子からも崇敬され続けている。
大正12年(1923年)、池上電気鉄道により池上線「御嶽山前駅」が開業。昭和4年(1929年)、現在の「御嶽山駅」に改称された。「御嶽山」の通称が定着した。
一山行者は、当社の中興者であり、俗名は治兵衛。相模国津久井村の出身で、後に僧となる。その後、修験者として木曾の御嶽に入り、水行などをして修行に励んだ。
ある夜、夢によるお告げにより江戸に赴き、御嶽山の教化の地を探していたところ、荏原郡嶺村に御嶽社の小さな社を見て、当地で教えを説くことを決め、後に社殿を築く。
その後一山行者の教えを聞くため、各地に信者を多く得るようになった。江戸の有力者からの寄進もあり、知名度を上げた。
一山行者は、嘉永4年(1851年)に江戸で没した。現在は当社の境内社である一山神社で祀られている。また、さいたま市中央区には一山神社がある。
他の境内社に、大鳥神社・稲荷神社がある。境内地奥の鎮守の森は「霊神の杜」と呼ばれ、湧き出る杜の霊神水や、水行堂、樹齢400年の夫婦松がある。
昭和13年(1938年)、関西地方を襲った水害で、兵庫県西宮市の夙川の土手にあった地蔵の傍らで数人の女の子が助かった。
その地蔵が縁あって平成の世になり当地に移動され、「延命地蔵」として、当社境内に安置されている。
例祭は9月で、秋季例大祭。平成の世から20年に一度、本山へ神輿を運んで担ぐ式年祭が執行され、次回は2031年の予定。11月には酉の市がある。
5月第3日曜日には五月祭があり、フリーマーケットや屋台の出店がある。
【ご利益】
身体壮健、病気平癒、病魔退散、健康長寿(公式HP)
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・東京都の神社 - 本サイトに掲載されている神社で、東京都に鎮座している神社の一覧
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御嶽神社(おんたけじんじゃ)は、東京都大田区北嶺町にある神社。近代社格では村社。「嶺の御嶽神社」として知られる。参拝すれば、御朱印を頂ける。
戦国時代の天文4年(1535年)頃の創建と伝わる。当初は御嶽社と呼ばれ、成立したばかりの嶺村の小さな社にすぎなかった。
江戸時代後期の天保年間(1831年-1845年)、木曾御嶽山(木曽御嶽山)で修業をした修験者一山行者が当社を中興、「木曾御嶽山関東第一分社」として改めて勧請した。
主祭神は、国常立命・国狭槌命(国狭槌尊)・豊雲野尊。天保2年(1831年)に現在の大きな社殿を建立した。
宮大工の藤原篤意の作という見事な彫刻が施された本殿が現存し、拝殿には「三社宮」の扁額がかかる。この社殿が現在、区の文化財に指定されている。
以後、江戸や関東地方各地からから御嶽山の信者を中心に参拝者が増え、当社を3回参拝すれば、本場の木曾御嶽山と同等のご利益があるとまで言われた。
江戸時代以降も、昭和から平成の現在も各地の講社が定期的に参拝にくる。嶺町地区の村社として、地域の氏子からも崇敬され続けている。
大正12年(1923年)、池上電気鉄道により池上線「御嶽山前駅」が開業。昭和4年(1929年)、現在の「御嶽山駅」に改称された。「御嶽山」の通称が定着した。
一山行者は、当社の中興者であり、俗名は治兵衛。相模国津久井村の出身で、後に僧となる。その後、修験者として木曾の御嶽に入り、水行などをして修行に励んだ。
ある夜、夢によるお告げにより江戸に赴き、御嶽山の教化の地を探していたところ、荏原郡嶺村に御嶽社の小さな社を見て、当地で教えを説くことを決め、後に社殿を築く。
その後一山行者の教えを聞くため、各地に信者を多く得るようになった。江戸の有力者からの寄進もあり、知名度を上げた。
一山行者は、嘉永4年(1851年)に江戸で没した。現在は当社の境内社である一山神社で祀られている。また、さいたま市中央区には一山神社がある。
他の境内社に、大鳥神社・稲荷神社がある。境内地奥の鎮守の森は「霊神の杜」と呼ばれ、湧き出る杜の霊神水や、水行堂、樹齢400年の夫婦松がある。
昭和13年(1938年)、関西地方を襲った水害で、兵庫県西宮市の夙川の土手にあった地蔵の傍らで数人の女の子が助かった。
その地蔵が縁あって平成の世になり当地に移動され、「延命地蔵」として、当社境内に安置されている。
例祭は9月で、秋季例大祭。平成の世から20年に一度、本山へ神輿を運んで担ぐ式年祭が執行され、次回は2031年の予定。11月には酉の市がある。
5月第3日曜日には五月祭があり、フリーマーケットや屋台の出店がある。
【ご利益】
身体壮健、病気平癒、病魔退散、健康長寿(公式HP)
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