殿ヶ谷村式内摂社を勧請、青梅街道の目印「武蔵野の一本榎」に鎮座
[住所]東京都小平市仲町361
[電話]042-344-0638

熊野宮(くまのぐう)は、東京都小平市仲町にある神社。近代社格では村社。参拝すれば、御朱印を頂ける。

武蔵国多摩郡殿ヶ谷村に鎮座する式内社の阿豆左味天神社の摂社として、同郡岸村字岸組に産土神として奉斎されていた熊野神社が、当社の本宮。

小川村の開拓に着手した小川九郎兵衛と、阿豆左味天神社の神主で当宮社家の始祖である宮崎主馬が、江戸時代前期の寛文年間(1661年-1673年)、小川村明主の屋敷内に分祀した。

その後、小川新田の開拓を行うのに先立って、その守護神として、宝永元年(1704年)に榎(エノキ)の大樹のもとに祠を建立し、遷座したのが始まり。

御祭神は、伊邪那岐大神伊邪那美大神・早玉男乃神・事解雄乃神。

小川新田は、現在の仲町、喜平町、学園東町、学園西町と上水本町の一部、上水新町にあたる。

この榎の大樹は、「武蔵野の一本榎」と呼ばれるもの。当時、この一帯は「逃水の里(にげみずのさと)」と称され、川もなく水の便が非常に悪い場所だった。

そのため、人家が一軒もない荒漠たる武蔵野の原野で、重要な街道であった青梅街道は田無から箱根ヶ崎までの間には宿場もなく、通行するのも厳しかったという。

そのような原野の中にあって、この榎の巨木が一本だけそびえており、街道を往来する人々の良き目印や一時の休息の場になっていたと伝えられている。

その投影は百数十間にも及び、盛夏の炎天下にあっても絶えず千古の涼風が吹き通っていたという。初代の榎は、江戸時代中期には枯木となった。

初代の榎は現在、一本榎神社として祀られ、当社の末社殿に合祀されている。

二代目の榎も目通り七尺の大樹だったが、大正3年(1915年)9月の暴風雨により倒潰し、現在繋っている榎は、樹齢約100年の三代目の孫木である。

明治6年(1873年)、村社に列し、明治42年(1909年)、庚申社(猿田彦神)を合祀した。

例祭は9月19日。本祭は隔年に行われ神輿が出御する。早朝、宮出しは参道だけ担いで、そこから一橋学園ロータリーまでトラックで運ぶ。

そこから出御して、大太鼓とともに鈴木囃子の音に乗って氏子町内を巡幸し、夕方に宮入する。

社殿正面には、樹齢約300年の2本の欅(ケヤキ)が寄り添って繋っており、「夫婦欅」と呼ばれ、夫婦円満の象徴として、参拝者に親しまれている。

境内社は一本榎神社の他、八幡宮(応神天皇)、天神社(少彦名神)、白山社(白山比咩神)、稲荷社(倉稲魂命保食神)、庚申社(猿田彦神)、祖霊社(日清・日露・大東亜戦争の戦役戦没者の英霊)、水神社(水波能売神)がある。

小平市大沼町の稲荷神社(大沼田稲荷)、同じく鈴木町の稲荷神社(下鈴木稲荷)、回田町の氷川神社(回田氷川)、上水南町の稲荷神社(堀端稲荷)、上水本町の稲荷神社(上鈴木稲荷)、美園町の稲荷神社(小平駅前稲荷)、東村山市廻田町の金山神社、多摩湖町の氷川神社(多摩湖氷川)、東大和市蔵敷の熊野神社・嚴島神社を兼務している。

【ご利益】
夫婦和合、家内安全、子宝・安産、交通安全(公式HP
熊野宮 東京都小平市仲町
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