江戸前期に松平直政が出雲大社を勧請、巨大な富士塚や千本イチョウ
[住所]東京都武蔵野市境南町2-10-11
[電話]0422-31-7307

杵築大社(きづきたいしゃ)は、東京都武蔵野市境南町にある神社。近代社格では村社。武蔵野商工会議所が行う「武蔵野吉祥七福神めぐり」の一社。参拝すれば、御朱印を頂ける。

江戸時代前期の慶安年間(1648年-1651年)、出雲国松江藩初代藩主松平直政は、将軍家より与えられた当所12町四方に御用屋敷を設け、鷹狩場とした。

直政は、徳川家康の次男である結城秀康の三男で、3代将軍徳川家光の従兄弟にあたる。

直政は、この御用屋敷内に幕府の繁栄と天下泰平を祈願すべく、出雲国より杵築大社(現 出雲大社)と稲荷神社の両社を勧請し、創建した。

御祭神は、大国主大神。松江には直政にゆかりの深い城山稲荷神社があるが、同社のことか。

貞享年間(1684年-1687年)、当地は武蔵野の新田開発を進めていた幕府の直轄地となった。

松江藩屋敷奉行であった境本絺馬太夫がこの土地を貰い受け、以後、境本氏は「境新田」と称された新田の開拓に努めた。

御用屋敷は廃されたが当社は残され、境本村、あるいは境新田村の氏神となった。別当は保谷村寶光院。

明治6年(1873年)12月、旧堺村の鎮守として村社に列した。昭和21年(1946年)11月、島根県松江市の美保神社から事代主大神を勧請した。

これにより、「だいこく様・えびす様」の二福神を奉斎する社となった。将軍家とのゆかりを示すように、社殿や鳥居、賽銭箱には葵の御紋が目立つ。

例祭は10月第1日曜日。前日が宵宮祭で、素人演芸奉納カラオケ大会がある。当日は神事の後、むさしの囃子や神輿の宮入がある。

主幹5本、支幹40数本からなる千本イチョウの雌木がある。目通り幹周り2.5メートル、根元周囲4.2メートル、枝張17メートル四方。

約150年前後前の落雷などにより、地上部は枯死しており、その根際より生じた支幹が成長して現在の主幹となったものと推定されている。市指定天然記念物。

明治14年(1881年)、境本村をはじめ近隣22町村の丸嘉講の協力で築山されたという富士塚の山頂には富士浅間神社(木花開耶媛命)が祀られている。

三多摩に現存するものでは2番目に規模の大きい富士塚で、市の史跡に指定されている。奥の登山道を降りたところには金刀比羅宮(大物主大神)の石祠がある。

他に境内社として、稲荷神社(豊受大神)、八坂神社(素戔嗚大神)、弁天宮(市杵嶋姫命)、松平稲荷社(宇迦之御魂神)がある。また、三鷹市の八幡大神社などを兼務している。

武蔵境駅の近くに鎮座する。以前まで、「杵築大社」と言えば、とりもなおさず出雲大社のみを指していたが、現在は当社の認知度の高まりのもと、インターネット検索でも、通常は当社が検索されるようになっている。

【ご利益】
商売繁盛、開運招福
杵築大社 東京都武蔵野市境南町
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