奈良期や蒙古襲来時の放生池、参道の黒松並木、「鞆江のいちょう」
[住所]愛知県一宮市明地字鞆24
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鞆江神社(ともえじんじゃ)は、愛知県一宮市明地鞆にある神社。『延喜式神名帳』にある「鞆江神社(尾張国・中島郡)」に比定される式内社(小社)。近代社格では郷社。御朱印の有無は不明。

創祀年代は不詳。御祭神は、仲哀天皇神功皇后応神天皇武内宿禰素盞鳴命大山咋命を合祀する。一説に、天照大神や徳川家康も。

『日本三代実録』によれば、貞観7年(865年)10月28日、従五位下に叙された。元慶5年(881年)には官社に列した。

今は縮小されているが、明治期まで、神江川が流れ出ていた、かなり大きな池だっという放生ケ池(放生池)がある。

奈良時代の養老4年(720年)の疫病蔓延や、鎌倉時代の弘安4年(1281年)の蒙古軍襲来時に大量の死者が生じたために、毎年生魚を放流するようになった、と伝えられる。

蒙古襲来の際は、当社の別当である神江寺で大般若経が奉読されてもいるという。

江戸時代は「神江明神」「八幡宮」と称していた。現在も第二鳥居から第三鳥居に至る参道には長い黒松並木が続く。

この並木は、『尾張名所図会』にも描かれたもので、市の史跡に指定されている。

第三鳥居をくぐると、朱色が美しい山門(神門)がある。拝殿の前には風雪を感じさせる蕃塀がある。拝殿の扁額は「鞆江大明神」。

拝殿の前に巨大なイチョウの樹がある。「鞆江のいちょう」として、市の天然記念物に指定されている。樹高15メートル、幹回り4メートル。

この木には、乳と呼ぶ下に垂れた気根があり、母乳の出のよくない婦人は樹皮を煎じて飲むと、乳の出がよくなるといわれた。

戦前には、春に「乳祭り」という祭りが行われ、祭礼の2日ほど前から、参道の黒松並木に縄が張られ、赤・白・黄・桃など色とりどりののぼりで飾られたという。

現在でも、時折、樹皮が欲しいという依頼があるという。

以前まで、境内では氏子たちが神主の占いの結果を聞いて、田畑や農作業をする人たちなどを表した立体模型を作り、拝殿の傍らに飾る風習があったという。

参詣に来た人たちはそれを見て、その年の米の出来具合を判断したという。

現在、例祭は4月8日。境内社に、秋葉社がある。他に複数の境内社がある。

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鞆江神社 愛知県一宮市明地鞆
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