伊勢神領の由緒を伝える、伊勢に納める新稲を先に運び置いた地の式内
[住所]愛知県岡崎市稲熊町字森下6
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稲前神社(いなくまじんじゃ/いなさきじんじゃ)は、愛知県岡崎市稲熊町森下にある神社。御朱印の有無は不明。

延喜式』巻9・10神名帳 東海道神 三河国 額田郡「稻前神社」に比定される式内社(小社)。近代社格では郷社。岡崎観光きらり百選の一つ。

創建年代は不詳。『三河国内神名帳』にも「正五位 下稲隈天神坐額田郡」とある。御祭神は、天照大神。現在は天児屋根命応神天皇を合祀する。

往古、岡崎の地は弘く天神山と称され、当社の神領と社地であり、伊勢の神宮(伊勢神宮)神領に属していた。

大神宮に新稲を奉る国民はまず当社の神倉に運び置き、後に伊勢に送ることにより、「稲前」の号がついたという。

そのため、時に当社が市内最古の神社とされる。ちなみに、市内康生町の菅生神社日本武尊の創祀として、市内最古の神社を称する。

鎌倉時代になり、この地が武家の庄地となり、当社は對面所の辺り、現在の材木町に移され、さらに岡崎城郭の拡張により元神明へ、その後、現在地に遷座した。

ちなみに、現在の元能見町には能見神明宮があり、この神明宮が過去に当社号を名乗っていたとの由緒を伝える。当社との関連をうかがわせる。

慶長20年(1615年)、春木氏より祭田1町2畝10歩の寄進があり、享保17年(1732年)に石鳥居、慶応2年(1865年)に「三河官社二十六座之内稲前神社」の標石を造立した。

明治2年(1869年)、拝殿を改築し、明治14年(1881年)、式内社に認定され、郷社に列した。明治42年(1909年)、神饌幣帛料供進社に指令された。

明治45年(1912年)には鶴田鎮座の金刀比羅社、大正2年(1913年)には海藻鎮座の春日社をそれぞれ境内に遷座した。

昭和44年(1969年)、本殿・社務所を改築した。今は絶えた昔年の御田植神事歌が下記のように伝わる。
今年は豊年 丈が一丈で 穂が五尺

まいたるたねが 一束三ばで五斗八升
例祭は10月第3日曜日。手筒花火や巫女舞の奉納などがある。

【ご利益】
五穀豊穣、開運招福、地域安全、地域振興
稲前神社 愛知県岡崎市稲熊町森下
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