トヨタグループ創祀者も参拝した病気平癒の芭蕉天神、中興の服部長七
[住所]愛知県岡崎市岩津町東山53
[電話]0564-45-2525
岩津天満宮(いわづてんまんぐう)は、愛知県岡崎市岩津町東山にある神社。菅原道真を祀る天神・天満宮の一つ。近代社格では無格社。岩津天神、芭蕉天満宮とも。参拝すれば、御朱印を頂ける。
徳川氏の祖となる松平信光が創建した信光明寺。その22世である一誉上人は、将軍拝賀のため江戸へ向かったが、旅の途中、病に倒れた。
土地の人の勧めで天満宮へ病気回復を心中祈願したところ、病はたちどころに癒え、将軍家への拝謁を無事済ませることができた。
霊験に感謝した上人は、江戸よりの帰途、鎌倉・荏柄山天満宮を参拝し、御分霊をいただき、岩津に戻ってきた。
御分霊は信光明寺の観音堂に一旦祀られたが、ある夜、上人の夢枕に天神が立ち、「我を 四辺眺望の地に 祀るべし」との御神託を告げた。
こうして岩津山の頂きに神祠が建立され、当宮が創建された。時に江戸時代中期の宝暦9年(1759年)。以降、病除けの信仰が広まった。
トヨタグループの創始者である豊田佐吉(1867年-1930年)が病弱だった子供の頃、健康祈願のために歩いて当宮に参拝していたという。
明治11年(1878年)、39歳の服部長七は岡崎の夫婦橋の掛けかえ工事を請け負った。この工事は明治天皇巡幸を控えての大事業だった。
完成直前のある日、長七は奇瑞を感じ、一旦工事を止め、霊験あらたかの評判の高い当宮で工事竣功のための参籠を行った。
満願の朝、長七の夢枕に白衣の老人が立ち、「夫婦橋の工事には欠陥がある。特に水中を吟味せよ」と告げた。
長七はお告げの通り、全員総掛かりで水中を探したところ、やはり欠陥が確認され、その後昼夜兼行で夫婦橋を完成させた。
明治12年(1879年)、明治になって信光明寺の所管より離れた当宮が火災に遭い、すべて焼失した。
越中立山の山岳信仰の拠点・芦峅寺。明治時代の大阿闍梨・佐伯鑁禪師が三河布教を行っていた際、その荒廃の様子を見、嘆き、再興を決意した。
鑁禪師が宿泊場所としていたのが、還暦を迎えた服部長七の碧南・新川の邸宅だった。鑁禪師は長七に相談し、長七もこれに応えて鑁禪師とともに再興に取り組んだ。
20年ぶりの当宮との邂逅、20年にわたる再興事業を経て、大正8年(1919年)、現在に残る拝殿の造営を成し遂げ、当宮中興の祖と仰がれる服部長七は境内の一隅で帰幽、享年80。
例祭は3月25日。当社は病気除けや厄除けのご利益が強いが、現在は毎月25日に合格祈願特別祈祷が行われている。2月中旬から3月中旬には梅まつりが開かれる。
境内社に、恋の神様である産霊神社、芸術の神様である宗像神社、長寿の神様である白太夫社、稲荷社、トイレの神様である厠神社がある。
境内には、神橋、『和魂漢才』石碑、臥牛像、厄割石、絵馬掛け、梅園がある。岡崎観光きらり百選。
【ご利益】
厄災除け、病気平癒、事業成功、学業・受験合格(公式HP)
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岩津天満宮(いわづてんまんぐう)は、愛知県岡崎市岩津町東山にある神社。菅原道真を祀る天神・天満宮の一つ。近代社格では無格社。岩津天神、芭蕉天満宮とも。参拝すれば、御朱印を頂ける。
徳川氏の祖となる松平信光が創建した信光明寺。その22世である一誉上人は、将軍拝賀のため江戸へ向かったが、旅の途中、病に倒れた。
土地の人の勧めで天満宮へ病気回復を心中祈願したところ、病はたちどころに癒え、将軍家への拝謁を無事済ませることができた。
霊験に感謝した上人は、江戸よりの帰途、鎌倉・荏柄山天満宮を参拝し、御分霊をいただき、岩津に戻ってきた。
御分霊は信光明寺の観音堂に一旦祀られたが、ある夜、上人の夢枕に天神が立ち、「我を 四辺眺望の地に 祀るべし」との御神託を告げた。
こうして岩津山の頂きに神祠が建立され、当宮が創建された。時に江戸時代中期の宝暦9年(1759年)。以降、病除けの信仰が広まった。
トヨタグループの創始者である豊田佐吉(1867年-1930年)が病弱だった子供の頃、健康祈願のために歩いて当宮に参拝していたという。
明治11年(1878年)、39歳の服部長七は岡崎の夫婦橋の掛けかえ工事を請け負った。この工事は明治天皇巡幸を控えての大事業だった。
完成直前のある日、長七は奇瑞を感じ、一旦工事を止め、霊験あらたかの評判の高い当宮で工事竣功のための参籠を行った。
満願の朝、長七の夢枕に白衣の老人が立ち、「夫婦橋の工事には欠陥がある。特に水中を吟味せよ」と告げた。
長七はお告げの通り、全員総掛かりで水中を探したところ、やはり欠陥が確認され、その後昼夜兼行で夫婦橋を完成させた。
明治12年(1879年)、明治になって信光明寺の所管より離れた当宮が火災に遭い、すべて焼失した。
越中立山の山岳信仰の拠点・芦峅寺。明治時代の大阿闍梨・佐伯鑁禪師が三河布教を行っていた際、その荒廃の様子を見、嘆き、再興を決意した。
鑁禪師が宿泊場所としていたのが、還暦を迎えた服部長七の碧南・新川の邸宅だった。鑁禪師は長七に相談し、長七もこれに応えて鑁禪師とともに再興に取り組んだ。
20年ぶりの当宮との邂逅、20年にわたる再興事業を経て、大正8年(1919年)、現在に残る拝殿の造営を成し遂げ、当宮中興の祖と仰がれる服部長七は境内の一隅で帰幽、享年80。
例祭は3月25日。当社は病気除けや厄除けのご利益が強いが、現在は毎月25日に合格祈願特別祈祷が行われている。2月中旬から3月中旬には梅まつりが開かれる。
境内社に、恋の神様である産霊神社、芸術の神様である宗像神社、長寿の神様である白太夫社、稲荷社、トイレの神様である厠神社がある。
境内には、神橋、『和魂漢才』石碑、臥牛像、厄割石、絵馬掛け、梅園がある。岡崎観光きらり百選。
【ご利益】
厄災除け、病気平癒、事業成功、学業・受験合格(公式HP)
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