宮中の祟りを奉斎して創祀、江戸期に菅原道真を勧請、梅園や9月例祭
[住所]愛知県岡崎市中町北野1
[電話]0564-21-4345

岡崎天満宮(おかざきてんまんぐう)は、愛知県岡崎市中町北野にある神社。近代社格では郷社。天満天神・伝馬天神とも。参拝すれば、御朱印を頂ける。

第84代順徳天皇の御代、鎌倉時代の建保2年(1214年)秋、宮中に夜な夜な怪しく光る物体が飛来し、順徳天皇の皇女が発病した。

当時、宮中警護の任に当たっていた武将本間三郎重光は、天皇の命を受け、家来の伴隼人とともに、その怪光物を弓で射落とした。

その怪光物は野狐の骸だった。しかし、皇女の病気は治らず、さらに原因探査すると、この野狐の祟りだと判明した。

どこで、本間三郎重光の領地だった三河国菅生郷に野狐の遺骸を送り、日本全国の名山の土を集め、獅子形に仮山を築き、その面を宮中の方角に望ませ、野狐の鎮魂に努めた。

この稲荷社の創祀とともに、皇女の病は癒え、すっかり元気になった。天皇は喜び、稲荷社の側に瑞生山総持尼寺という尼寺を建立。皇女御自ら尼僧となって入山した。

建保5年(1217年)8月23日、この総持尼寺の鬼門除けとして、あの野狐を射落とした弓弦を御神体にして、本間三郎重光の祖神、道臣命を勧請し、北野庄に天神社を建立を創建した。

これが当社の創建で、当時は伴天神・弓弦天神などと称された。

江戸時代になり、元禄3年(1690年)。江戸亀戸天神の別当職・菅原信祐が、大宰府天満宮の飛梅の木で作った菅公御神像を奉持し、大宰府から江戸へ向かう旅の途中。

岡崎本陣中根甚衛門方に一宿した。その夜、信祐の枕元に菅原道真公が立ち、「この岡崎の地に昔よりいいお社がある。そこに私を勧請しなさい」と言ったという。

翌朝、信祐はこの神夢を宿の主人に相談したところ、北野の弓弦天神、つまり当社だと分かり、菅公御神像を合祀し、現社号に改称した。

明治になり、別当だった総持尼寺から独立、明治5年(1872年)9月18日、郷社に列し、明治40年(1907年)10月26日には神饌幣帛料供進神社に指定された。

昭和8年(1933年)9月25日、御大典記念事業として、本殿・幣殿を改築したが、この際、本殿の棟木に伊勢の神宮(伊勢神宮)式年遷宮の古材が使用された。

しかし、昭和20年(1945年)7月20日、岡崎空襲により、神楽殿以外の社殿がことごとく全焼。その後、順次再建し、境内整備が進められた。

例祭は9月25日。9月23日から4日間行われる祭礼は、岡崎三大祭の一つ。昼間の打ち上げ奉納煙火が有名で、「天神さんの丘花火」として知られた。

打ち上げ奉納煙火は住宅事情から、現在では実施されていない。他に、1月25日が初天神祭、2月3日が節分祭(豆撒き)、2月中旬から3月上旬まで、梅まつり。

平成14年(2002年)3月25日、菅公御神忌1100年大祭として、梅園が整備された。この梅の花が今や名物で、岡崎観光きらり百選に選ばれている。

【ご利益】
一族・子孫繁栄、学業・受験合格(公式HP
岡崎天満宮 愛知県岡崎市中町北野
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岡崎天満宮 愛知県岡崎市中町北野の御朱印