飛鳥朝の創祀、鎌倉期に鶴岡八幡を勧請、「ええじゃないか」発祥地
[住所]愛知県豊橋市牟呂町郷社1
[電話]0532-31-1567

牟呂八幡社(むろはちまんしゃ)は、愛知県豊橋市牟呂町郷社にある神社。牟呂八幡宮(むろはちまんぐう)とも。参拝すれば、御朱印を頂ける。

近代社格では郷社。現在は、愛知県神社庁の六等級。

飛鳥時代の文武天皇元年(697年)の創建と伝わる。『三河国国内神名帳』に、「従五位 牟留天神」と見える。

鎌倉時代の文治2年(1186年)、佐々木佐佐衛門尉の知行所であった時、牟呂天神境内に武神として八幡大菩薩を併祀したという。

貞応元年(1222年)、鎌倉将軍の命により、鎌倉鶴岡八幡宮を手本にして三方に大門・三池をめぐりらし、市杵島社、若宮八幡社などを勧請した。

御祭神は、品陀和氣命(応神天皇)、息長帯姫命(神功皇后)。

戦国時代の天文年間(1532年-1555年)、田原城主戸田氏をはじめ、今川氏・池田氏などが社殿を修築し、崇敬された。

江戸時代初期の慶長6年(1601年)、徳川家康が朱印領4石5斗を寄進。

江戸時代前期の元禄6年(1693年)『三州吉田領神社仏閣記』に、牟呂村「八幡宮,神主森田志摩,御朱印社領四石五斗,此内壱石五斗天王社領分」。

また、「境内東西百八間・南北八十四間,西大門八十間・南大門百四十間・東大門百廿間」。

「右之境内白山社・天王社・神明・若宮社・雨ノ宮・風ノ宮・天神・秋葉宮・弁財天・十七夜ノ宮・神宮」とある。

江戸時代中期の元文5年(1739年)『三河国二葉松』に、「牟呂村八幡,社領四石五斗,神主森田伊勢」とある。

幕末の元治2年(1865年)3月19日、正一位の神階を授かる。慶応3年(1867年)、牟呂村大西に外宮の御札が降り、そのお札が奉納されたことをきっかけに「ええじゃないか」が広まった。

昭和20年(1945年)6月の空襲によって社殿が被災したが、昭和25年(1950年)に本殿が、昭和33年(1958年)に拝殿が再建された。

例祭は4月第2日曜日。神幸祭の神事相撲は、国譲りの出雲神話による諏訪大社の神事相撲に由来する。4名の総代がお役に就く。

当社の神事相撲は力比べではなく、厳粛な占い神事として行われてきた。勝負の結果で、干地・福地の豊凶を占い、作付けの参考にされてきた。

この他、宮座神事、神輿渡御、御旅所での稚児の舞、浦安の舞、餅投げなどの一連の行事があり、市の無形民俗文化財に指定されている。

また、7月第2土曜日には鼓楼からお札を撒いて、幕末の「ええじゃないか」を再現する催しが行われている。

境内社に、稲荷神社・牟呂御霊社がある。

なお、「ええじゃないか」の発祥には諸説ある。

【ご利益】
厄災除け、五穀豊穣、安産、諸願成就(公式HP
牟呂八幡社 愛知県豊橋市牟呂町郷社
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