「玉ノ井霊泉」で知られるもとの穴太部神社、平安期に賀茂神を勧請
[住所]愛知県一宮市木曽川町玉ノ井字穴太部4
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賀茂神社(かもじんじゃ)は、愛知県一宮市木曽川町玉ノ井穴太部にある神社。一部に加茂神社とも表記されるが、誤りか。地名を取り、玉ノ井賀茂神社とも。御朱印の有無は不明。
『延喜式神名帳』尾張国葉栗郡にある「穴太部神社」「阿遅加神社」に比定される式内社(小社)の論社。近代社格では郷社。
創建年代は、一説に第29代欽明天皇(在位:540年-571年)の代と伝えられる。御祭神は玉依姫命。
境内に湧出する清水は「玉ノ井霊泉」と呼ばれ、玉ノ井清水・玉井清水)とも。この周辺の地名「玉ノ井」の由来となっている。
この清水は、聖武天皇の皇后である光明皇后(701年-760年)の目の病気を平癒させたといわれている。現在も眼病平癒の信仰がある。
『延喜式』後の寛治4年(1090年)、賀茂別雷神社の御厨がこの地に置かれたため、当社も賀茂別雷命を合祀して現社号に改称したという。
現在の主祭神は、「たまたま」下鴨神社の御祭神、つまり、賀茂別雷命の母にあたるが、そもそもは穴太部氏の祖神を奉斎した可能性が指摘されている。
穴太部氏は不詳な部分も多いが、第21代雄略天皇の時,兄の穴穂皇子(第20代安康天皇)のために設定した、ともいう。暗殺された天皇のための鎮魂か。
ともかく、寛治7年(1093年)以来、葵祭の競馬の第18番を尾張国玉井庄の馬として牽引馬料を奉献することを例とした。
鎌倉時代後期の永仁4年(1296年)、百人一首の参議雅経の方が知られているかもしれないが、飛鳥井雅経が当社を参拝、下記の歌を奉納したという。
安土桃山時代の天正14年(1586年)6月に発生した木曽川の大洪水で、木曽川の本流は大きく流路を変え、葉栗郡は木曽川によって二分された。
木曽川の右岸となった地域は美濃国羽栗郡となった。これにより美濃国羽栗郡の氏子のために、慶長4年(1599年)、美濃国羽栗郡南及村(現 岐阜県羽島市正木町南及)に分社した。
その後、江戸時代中期になるまで、玉の井は所在不明になっていたようだが、江戸時代中期に発見され、尾張藩から手厚く保護されるようになり、当社の代名詞となった。
昭和4年(1929年)12月27日、郷社に列し、昭和21年(1946年)1月に県社に昇格する予定だったが、直後に近代社格はなくなり、昇格とはならなかった。
例祭は10月22日。なお、マスコットキャラクターに巫女姿の女の子「あおいちゃん」がいる。
境内社に、稲荷社・八剱社・春日社・金刀比羅社・津島社・出雲社・祖霊社などがある。
なお、式内社「穴太部神社」の論社は他に、名古屋市北区の多奈波太神社、岐阜県岐阜市柳津町の天神神社、羽島郡笠松町の式内同名神社がある。
また、式内社「阿遅加神社」の論社は他に、岐阜県羽島市足近町の阿遲加神社がある。
【ご利益】
良縁・縁結び、子宝・安産、家内安全
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賀茂神社(かもじんじゃ)は、愛知県一宮市木曽川町玉ノ井穴太部にある神社。一部に加茂神社とも表記されるが、誤りか。地名を取り、玉ノ井賀茂神社とも。御朱印の有無は不明。
『延喜式神名帳』尾張国葉栗郡にある「穴太部神社」「阿遅加神社」に比定される式内社(小社)の論社。近代社格では郷社。
創建年代は、一説に第29代欽明天皇(在位:540年-571年)の代と伝えられる。御祭神は玉依姫命。
境内に湧出する清水は「玉ノ井霊泉」と呼ばれ、玉ノ井清水・玉井清水)とも。この周辺の地名「玉ノ井」の由来となっている。
この清水は、聖武天皇の皇后である光明皇后(701年-760年)の目の病気を平癒させたといわれている。現在も眼病平癒の信仰がある。
『延喜式』後の寛治4年(1090年)、賀茂別雷神社の御厨がこの地に置かれたため、当社も賀茂別雷命を合祀して現社号に改称したという。
現在の主祭神は、「たまたま」下鴨神社の御祭神、つまり、賀茂別雷命の母にあたるが、そもそもは穴太部氏の祖神を奉斎した可能性が指摘されている。
穴太部氏は不詳な部分も多いが、第21代雄略天皇の時,兄の穴穂皇子(第20代安康天皇)のために設定した、ともいう。暗殺された天皇のための鎮魂か。
ともかく、寛治7年(1093年)以来、葵祭の競馬の第18番を尾張国玉井庄の馬として牽引馬料を奉献することを例とした。
鎌倉時代後期の永仁4年(1296年)、百人一首の参議雅経の方が知られているかもしれないが、飛鳥井雅経が当社を参拝、下記の歌を奉納したという。
思ひいつや みたらし川に せしみそき わすれぬ袖の 玉の井の里ただし、飛鳥井雅経は鎌倉時代前期までの公家であり、時代が合わないか。
安土桃山時代の天正14年(1586年)6月に発生した木曽川の大洪水で、木曽川の本流は大きく流路を変え、葉栗郡は木曽川によって二分された。
木曽川の右岸となった地域は美濃国羽栗郡となった。これにより美濃国羽栗郡の氏子のために、慶長4年(1599年)、美濃国羽栗郡南及村(現 岐阜県羽島市正木町南及)に分社した。
その後、江戸時代中期になるまで、玉の井は所在不明になっていたようだが、江戸時代中期に発見され、尾張藩から手厚く保護されるようになり、当社の代名詞となった。
昭和4年(1929年)12月27日、郷社に列し、昭和21年(1946年)1月に県社に昇格する予定だったが、直後に近代社格はなくなり、昇格とはならなかった。
例祭は10月22日。なお、マスコットキャラクターに巫女姿の女の子「あおいちゃん」がいる。
境内社に、稲荷社・八剱社・春日社・金刀比羅社・津島社・出雲社・祖霊社などがある。
なお、式内社「穴太部神社」の論社は他に、名古屋市北区の多奈波太神社、岐阜県岐阜市柳津町の天神神社、羽島郡笠松町の式内同名神社がある。
また、式内社「阿遅加神社」の論社は他に、岐阜県羽島市足近町の阿遲加神社がある。
【ご利益】
良縁・縁結び、子宝・安産、家内安全
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