丹羽建部の君を奉斎、「工」の地、明治期に比定で氏子をくじで選定
宅美神社 愛知県一宮市西大海道字中山73
[住所]愛知県一宮市西大海道字中山73
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宅美神社(たくみじんじゃ)は、愛知県一宮市西大海道中山にある神社。『延喜式神名帳』にある「宅美神社(尾張国・丹羽郡)」に比定される式内社(小社)の論社。近代社格では村社。御朱印の有無は不明。

第12代景行天皇は、皇子の日本武尊の薨去を悼み、その名代として諸国に建部を置いた。当国では、日本武尊の子である武田王を起源とし、当社の御祭神も武田王である。

『古事記』において、武田王に音が近いものとしては、建貝兒王(たけかいこのみこ)がいるが、日本武尊の子で建部の祖としては稲依別王。丹羽建部の君。

土地を墾き、産業を勧め、美術工芸を指導したと伝えられ、そこで、当地が工(たくみ)と呼ばれるようになったという。その御所屋敷跡が、現在の参道の西南部一帯だとされる。

あるいは、工造の組神、天火明命の十世孫である大美和都禰乃命を祀ったともされる場合がある。

『尾張国内神名帳』に「従三位 宅美神社」とある。

中世以降衰退し、西大海道村の天神ノ社、あるいは天神の杜として、遺称された小祠が残るのみとなった。

明治3年(1870年)、県から当地にて宅美神社を再興・奉斎せよとの命令を受け、長谷川鎌太郎がそれを引き受けたという。

長谷川鎌太郎は、先祖が長谷川内匠頭と称して祠官をやっていた。この際に、長谷部雄建と改名したという。もちろん氏子は一軒もなかったので、くじで45軒の氏子を定めたという。

特段の物証もなく式内社認定され、上からの命令で体裁を整える。明治期に全国各地でよくあっただろうケースについて、当社の伝承は生々しくそれを伝えている。

例祭は10月20日。

境内のほぼ中央、拝殿の南西に、高さ約20メートル、目通り180センチのヒトツバタゴがある。樹齢200年で、市内最大。南側入口にも小さい株が2本ある。

なお、式内社「宅美神社」の論社は他に、小牧市大山郷島の兒社、犬山市今井の石作神社がある。

丹羽郡には他に、当社とよく似た「託美神社」という式内社もある。丹羽郡扶桑町の式内同名神社に比定され、特に当社との関係が指摘される場合がある。

【ご利益】
産業振興、事業成功、地域振興
宅美神社 愛知県一宮市西大海道中山
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