余坂の天神さん、もとは稲木別の祖を祀る、天正期に織田信長が祈願
天神社 愛知県犬山市大字犬山字東古券393
[住所]愛知県犬山市大字犬山字東古券393
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天神社(てんじんじゃ)は、愛知県犬山市犬山東古券にある神社。余坂天神社、余坂の天神とも。御朱印の有無は不明。

『延喜式神名帳』にある「稲木神社(尾張国・丹羽郡)」に比定される式内社(小社)の論社。

創建は不詳。余坂とは、木戸の余りの坂の意だといわれる。この町内は、余坂口木戸から東にあり、後の犬山城下町の外側にあたる。

式内社「稲木神社」は、『尾張国内神名帳』には「稲木天神」とある。丹羽郡稲木の庄53ヶ村の総社だったという。御祭神は大中津日子命

大中津日子命は、第11代垂仁天皇と、その皇后である比婆須比売命の子。兄に、第12代景行天皇などがいる。『古事記』では皇子だが、『日本書紀』では「大中姫命」と表記され、皇女。

『古事記』に、「山辺の別、三枝の別、稲木の別、阿太の別、尾張国の三野の別、吉備国の石无の別、許呂母の別、高巣鹿の別、飛鳥の君、牟礼の別らの祖」とある。

「稲木の別」はそのまま式内社「稲木神社」を連想させる。

中世、当社は針綱神社に属し、安土桃山時代の天正年間(1573年-1593年)、天神(菅原道真)を相殿神として祀った。

織田信長は天正10年(1582年)10月3日、甲斐の武田勝頼討伐の際、当社に戦勝祈願をしたという。

ただ、天正10年は6月に本能寺の変があったので、史実だとしても、信長による祈願はそれより以前の話だと思われる。勝頼の死没は、やはり天正10年で、3月。

江戸時代になると、尾張藩に崇敬され、江戸時代中期の元文6年(1740年)には八事の峠の守護神として祀られた。

もともとは、田中天神の地に鎮座していたが、明和4年(1767年)、天神川と青木川の氾濫により、現在地に遷座した。

大正12年(1923年)2月2日、郷社に列した。現在までに、天照大御神少彦名命も併せて祀る。例祭は7月24日前の日曜日。

ちなみに、犬山祭りでは、余坂から「夷子・大黒」の二福神からくりで知られる山車「宝袋」が出る。

なお、式内社「稲木神社」の論社は他に、江南市寄木に式内同名神社がある。

【ご利益】
地域振興、武運長久・勝運、学業・受験合格
天神社 愛知県犬山市犬山東古券
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