和志山古墳の被葬者を祀る、祭礼は古来「おまんとう」、秋には甘酒祭
和志取神社 愛知県岡崎市西本郷町字御立2
[住所]愛知県岡崎市西本郷町字御立2
[電話]0564-31-9387

和志取神社(わしとりじんじゃ)は、愛知県岡崎市西本郷町御立にある神社。岡崎観光きらり百選に選定されている。御朱印の有無は不明。

延喜式』巻9・10神名帳 東海道神 三河国 碧海郡「和志取神社」に比定される式内社(小社)の論社。近代社格では県社認可も、実際は郷社。

創祀年代は不詳。創建は奈良時代にまで遡ると考えられ、碧海郡下の駅家郷や鳥取駅家との密接な関係が推測されている。

御祭神は第12代景行天皇の皇子である五十狭城入彦皇子。西本郷町の蓮華寺の西に和志山古墳があり、これが五十狭城入彦皇子の墓とされる。

五十狭城入彦皇子は気入彦命とも。勅命によりこの地方の逆臣大王主などを捕え、これより国内は治まり庶民は大いに安堵した、という。

鷲取郷の総社で、『三河国内神明名帳』に「正五位下鷲取天神」とある。

明治時代初期の廃仏毀釈の折、境内にあった大日堂が東隣に移転した。大日堂所蔵の木造金剛界大日如来坐像と木造聖観世音菩薩立像は市指定文化財目録。

明治3年(1870年)に長谷部神社と改称。明治7年(1874年)5月、教部省の指令で式内社とされたが、翌明治8年(1875年)2月に取り消され、旧称に戻った。

明治12年(1879年)に式内社認定、現社号が認められ、大正5年(1916年)12月28日、郷社に列した。

昭和21年(1946年)1月10日、県社昇格が認められたが、その直後に旧社格は廃止。戦後は愛知県神社庁の七級社となった。

江戸時代から明治の中期頃までは、当社の祭礼といえば「おまんとう」または「オマント」であり、「馬之塔」の意で、煙火が上がるのが通例だった。

「おまんと」は「馬の塔」から派生した祭礼とされ、当社以外にも、高浜おまんと祭り東浦町おまんと祭りなどがある。

毎年、祈年祭、春季祭、例祭、新嘗祭と4回大祭が行われている。特に秋の新嘗祭では、豊年を祝う甘酒祭が、大正4年(1915年)から今日まで続けられている。

また、矢作西小学校の児童が浦安の舞を受け継いでいる。

境内社に、神宮社(天照大神)・社口社(布都御魂神)・天王社・御鍬社(和志取大王命)・稲荷社(倉稻魂命)がある。

なお、式内社「和志取神社」の論社は他に、安城市柿碕町に同名神社がある。

【ご利益】
地域安全、地域振興、一族・子孫繁栄
和志取神社 愛知県岡崎市西本郷町御立
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