海からやってきた御祭神とイカにちなむ烏賊祭、代々の三河領主崇敬社
[住所]愛知県豊川市御津町広石祓田70
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御津神社(みとじんじゃ)は、愛知県豊川市御津町広石祓田にある神社。御朱印の有無は不明。

延喜式』巻9・10神名帳 東海道神 三河国 宝飯郡「御津神社」に比定される式内社(小社)。近代社格では県社

創立年代は不詳。御祭神は大国主神。伝承によれば、御祭神は御舳玉・磯宮楫取・船津各大神などの随従で船津へ着いたとされる。

その際、船にイカを積み、振るまわれた、あるいは地元の漁師がイカを献上したと伝えられ、それが現在も行われている烏賊祭の起源となっている。

飛鳥時代の天武天皇4年(675年)2月、圭田56束が奉納されたという。

平安時代前期の仁寿元年(851年)10月、従五位下に進んだ。『三河国神名帳』に「正三位 御津大明神」として記載される。

室町時代の応永22年(1415年)、三州刺吏源朝臣義範(一色義貫か)が社殿を再建。永享11年(1439年)には屋根葺替が行われた。

享徳元年(1452年)、御津庄刺吏細川兵部少輔(細川成之か)は洪鐘を献納した。これが現在に伝わる、願主が藤原政家となる梵鐘か。

戦国時代の天文15年(1546年)、当庄刺吏牛久保城主平朝臣保成(牧野保成か)が社殿の屋根葺替を行った。

神領は中古には75石を有し、現在も小字に当社ゆかりの祓田、禰宜田、神子田などの名を残している。

永禄元年(1558年)・万治3年(1660年)・延宝2年(1674年)銘の鰐口が伝わる。万治3年のものには「御津庄船玉大明神」とある。江戸時代には船洲御津明神とも称した。

当社は往古、御津七郷、広石・森下・茂松・灰野・金割・西方・泙野・大草・赤根・大塚・丹野・山神)12ヶ村の総氏神だった。

明治5年(1872年)4月、郷社に列し、さらに森・為当・上佐脇・下佐脇・下佐脇新田・御馬の6ヶ村を加え、18ヶ村の崇敬社となった。

明治14年(1881年)10月、有栖川宮熾仁親王より自筆の社号が寄進された。明治15年(1882年)5月、県社に昇格した。

明治22年(1889年)、内務省より本殿保存資金として、金100円が下附された。明治40年(1907年)2月、神饌幣帛料供進神社に、昭和24年(1949年)、愛知県神社庁の六級社に指定された。

例祭は4月第3日曜日で、その前日の4月第3土曜日には烏賊祭(いか祭り・イカ祭り)が行われる。神前にイカが供えられる。

御神木のクスノキ(大楠)は、樹齢1000年を越え、町内最高齢の樹木とされる。目通り9.25メートル、根回り13.64メートル、樹高21メートル。

大般若経が111巻、巻数不明の料紙699葉が伝わる。多くは、南北朝時代の永和年間(1375年-1379年)に、新城市富岡にある富賀寺などで実鏡らにより書写されたもの。

境内社に、忠魂・八幡・八百萬・御鍬社、秋葉社、新宮社鈴宮社、御霊社、摂社磯宮社、稲荷社、富野御前社などがある。

【ご利益】
海上安全、大漁満足、事業成功、産業振興
御津神社 愛知県豊川市御津町広石祓田
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