藤原千方が創祀、飛鳥朝に現社号が下賜された式内、手筒花火の奉納
[住所]愛知県蒲郡市形原町八ヶ峯39
[電話]0533-57-2871

形原神社(かたのはらじんじゃ)は、愛知県蒲郡市形原町八ヶ峯にある神社。参拝すれば、御朱印を頂ける。

延喜式』巻9・10神名帳 東海道神 三河国 宝飯郡「形原神社」に比定される式内社(小社)。近代社格では県社

社伝によれば、第29代欽明天皇(在位:540年-571年)の時代、東夷鎮定の藤原千方(ふじわらのちかた)が当地に駐屯した。

その際、将校以下士卒に荒地を開拓、山麓に大和国から勧請した埴安神を祀ったのに始まるという。

主祭神は埴安大神。藤原千方が都に帰った後も、例年、祭料として2石を奉献したという。なお、この創祀は欽明朝ではなく、第34代舒明天皇11年(639年)とも。

藤原千方は伝説的な人物であり、史実かどうか疑わしいものの、活躍した時期は一般的にずっと後世の平安時代とされる。

飛鳥時代の皇極天皇(在位:642年-645年)の時、現社号が下賜され、その村落を雲見宮内の庄と称した。

また、皇極天皇元年(642年)12月には圭田を奉り、神礼が加えられた。『三河国神名帳』に、「従四位下 形原神社」とある。

江戸時代になり、寛永16年(1639年)、領主松平三郎が祭田3石を寄進した。松平三郎は不詳。

江戸期には春日明神と称されたが、その後は荒廃。天保年間(1831年-1845年)に復興したという。

明治5年(1872年)10月、郷社に列し、大正4年(1915年)、供進指定社となった。大正12年(1923年)、県社に昇格した。

昭和20年(1945年)1月、三河地震により社殿が被災。その後昭和60年(1985年)までに戦争中供出の金銅物も併せて旧に復した。

現在までに、 朝廷別王命誉田別命豊受姫大神天児屋根神も併せて祀られ、形原地区の総氏神として地元の信仰を集めている。

朝廷別王命は珍しいが、第9代開化天皇の皇子である日子坐王の子、丹波比古多多須美知能宇斯王の子として、『古事記』にも「三川の穗の別(わけ)の祖」とある。

例祭は4月第1日曜日。4月初旬と10月上旬に手筒花火が奉納される。ハンディタイプの花火で、火花が飛び散り、持ち手は熱そうだが、大迫力。

境内社として、天照皇大神と白山社がある。祖霊社と白山社が合殿に祀られているとも。

【ご利益】
土に関する諸事業の神
形原神社 愛知県蒲郡市形原町八ヶ峯
【関連記事】
愛知県の旧県社 | 府県社とは? - 旧県社(縣社)・旧府社、その都道府県の中で有力な神社
愛知県の神社 - 本サイトに掲載されている神社で、愛知県に鎮座している神社の一覧
形原神社 愛知県蒲郡市形原町八ヶ峯の御朱印