日本武尊の東征で活躍した建稲種命の遺骸が漂着した地、本殿が重文
[住所]愛知県西尾市吉良町宮崎宮前60
[電話]0563-32-3521

幡頭神社(はづじんじゃ)は、愛知県西尾市吉良町宮崎宮前にある神社。旧幡豆郡幡豆町4番組。御朱印の有無は不明。

延喜式』巻9・10神名帳 東海道神 三河国 播豆郡「羽豆神社」に比定される式内社(小社)。近代社格では県社

社伝によると、第12代景行天皇の御代、日本武尊の東征に従い、「幡頭」(はたがしら)を努め、大功を建てた建稲種命。尾張氏の祖。

その帰途、伊豆海上で薨じ、遺骸がこの岬に流れ着き、村人がそれを祀ったのが、当社の創祀だという。三河湾西部を、衣が浦と呼ぶことの由来。

また、遺骸が流れ着いた場所が「亀岩」で、幡頭海岸の4番組とされる。4番組が欠(かけ)と呼ばれたことから、欠の亀岩と呼ばれる。

渥美半島と知多牛島にはさまれた渥美湾、蛭子岬に鎮座する。岬には蛭子社がある。昔から、水死体がよく漂着した地なのかもしれない。

奈良時代直前の大宝2年(702年)、文武天皇の勅により社殿を造営し、官社に列せられたという。『日本文徳天皇実録』によれば、仁寿元年(851年)、従五位下となった。

知多湾を挟んで対峙する、知多半島の先に、尾張国の式内社である羽豆神社が存在する。やはり建稲種命ゆかりで、当社が終焉の地であれば、対岸は進発の地。

安土桃山時代の天正8年(1580年)、現本殿が建築された。一間社流造で、雄健な曲線を用いた絵様や素朴な蟇股の形、大きく反りかえった桧皮葺の屋根の美しいラインが特徴。

国の重要文化財に指定されている。また、同時期の建築と考えられている熊野社(伊邪那美神・速玉之男神・事解之男神)、神明社(天照大御神)は県指定文化財。

明治4年(1871年)、郷社に列し、大正10年(1921年)には県社に昇格した。現在は、大物主神誉田別尊を併せて祀る。

例祭は10月第1日曜日。毎年8月第4土曜日には「親子太鼓」と呼ばれる大太鼓2台の囃子が奉納される。

他に境内社として、御鍬社(伊佐波止美命・玉柱屋姫命)、山住社、稲荷社(倉稻魂命)などがある。

【ご利益】
水難除け、海上安全、諸願成就
幡頭神社 愛知県西尾市吉良町宮崎宮前
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