木曽川の堤防の守護神、秀吉も築堤で奉納、歴代藩主から崇敬・奉納
堤治神社 愛知県一宮市小信中島字宮浦780-1
[住所]愛知県一宮市小信中島字宮浦780-1
[電話]0586-62-1976

堤治神社(つつみはりじんじゃ)は、愛知県一宮市小信中島宮浦にある神社。『延喜式神名帳』にある「堤治神社(尾張国・中島郡)」に比定される式内社(小社)の論社。近代社格では県社。参拝すれば、御朱印を頂ける。

奈良時代の景雲3年(706年)、『続日本紀』にも記された木曽川の大洪水があり、その堤防鎮守の守護神として、埴安姫神を勧請したのが始まり。

地元では、「ていじじんじゃ」と呼称される。また、「つつみぢ」と読まれたことも。

社地はその後もたびたび洪水があり、本来の所在地や、その後の遷座の状況には不明な点が多い。現在は、木曽川東岸、大きな堤防のすぐ下に鎮座する。

文禄3年(1594年)、豊臣秀吉は木曾川の築堤に際し、五三の桐を透彫した銅製の釣燈籠を献進した。

また、慶長14年(1610年)、伊奈忠次は堤防修築にあたり、水に蛇籠のこしらえがある象高作有銘の短刀を献じた。

慶安3年(1650年)、未曽有の大洪水が発生、尾張藩2代藩主徳川光友は当社に祈願を命じ、金城鎮護の浄砂一握りを三つ葉葵の紋付きの白木唐櫃に納め、刀一振りとともに奉納した。

貞享4年(1687年)・元禄3年(1691年)にも洪水があり、光友は自身の代で度重なる洪水を遺憾として、常夜燈を奉納。これが現存する。

天保8年(1838年)、11代藩主徳川斉温は自筆の「満歳緑毛亀」の軸を、美濃高須藩10代藩主松平義建は「栖神法窟」の額面を奉納した。

江戸時代初期には神明社と称し、現在も天照皇大神をも御祭神としている。江戸時代中期には現社号に復した。

しかし、明治初年には堤治神明社と称し、さらに明治30年(1997年)9月、現社号に再び復した。

もとは尾張国一宮である真清田神社の境外末社だったというが、明治を機に独立して村社に列し、昭和16年(1941年)、県社に昇格した。

例祭は10月第2日曜日。10月の体育の日には堤治こども祭がある。大晦日には、年越しの大祓・除夜の太鼓奉仕・大餅奉納神事(出逢神事)がある。左義長は1月中旬。

境内社に、子安神社(木花開耶姫命)、招福稲荷神社(倉稲魂命)がある。また、平和の礎という慰霊碑があり、英霊を祀る。

また境内には、御神石の「むすびの夫婦岩」「むすびの石」などがあり、御神木として、市の天然記念物に指定されている「三位の大いちょう」がある。

また、「オリンピック記念石」や、御神池として「埴安の池」がある。

なお、式内社「堤治神社」の論社は他に、市内大和町の熊野社、富田の神明社、西五城の神明社、浅井町の小日比野八剱宮、東加賀野井の天神神社、稲沢市西島本町の天神社がある。

【ご利益】
水難除け、災害除け、長寿・健康、良縁・縁結び、産業発展、家内安全など(公式HP
堤治神社 愛知県一宮市小信中島宮浦
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