古くから星祭を斎行、庄内川の七夕伝承を残す式内「坂庭神社」の論社
[住所]愛知県名古屋市西区上小田井1-172
[電話]052-501-2862

星神社(ほしじんじゃ)は、愛知県名古屋市西区上小田井にある神社。参拝すれば、御朱印を頂ける。

『延喜式神名帳』にある「坂庭神社(尾張国・山田郡)」に比定される式内社(小社)の論社。近代社格では村社。

『尾張国神名帳』に「従三位 坂庭神社 天神」とある。坂庭星社ともいったという。御祭神は大名持命

旧暦7月7日、境内に土で壇を作り綺麗に清めて、天香香背男神(天津甕星)と牽牛星・織女星を祀る星祭が古くから斎行されていたという。

この祭典の時に酒を祭庭に注いだため、酒庭星社と呼ばれた。そこから転じて「坂」になったか。

創祀・創建年代は不詳だが、平安時代の仁和年間(885年-889年)、大江音人の子で政盛 また、その子である五郎政輝が当社の神を信仰したと伝わるので、それよりも前の創祀か。

また、政輝が京に帰る際には別に新たに社殿を建てたという。再建のことか、あるいは大江社とも。なお、この政輝は、旧町名の五郎庄の名の由来になっており、当時ここに邸宅があったという。

鎌倉時代の弘安3年(1280年)、火災で焼失、以降衰微したが、南北朝時代の暦応4年(1341年)、右近中将藤原朝臣実秋(一条実秋か)が再建、祭祀も再興された。

往時の所領は4町8反あり、織田信長の時代までは存続したが、その後豊臣秀吉の時代に残らず召し取られたという。

なお、信長の時代、当地の城主で小田又六が城内に井戸を掘ったので、坂庭の坂を取り、村名を坂井戸というようになった。

さらに、小田氏の小田と井戸の井が組み合わさり、小田井という旧村名になったという。

明治5年(1872年)、村社に列し、明治40年(1907年)、指定村社になった。

例祭は10月第2月曜日。旧暦からの月遅れの8月7日に、現在では七夕祭が施行される。7月15日には天王祭がある。

当社には、鎮座する小田井村の若者と、現在の北区金城にあたる田幡村の娘との悲恋の物語が伝わる。この話と関連すると思われるが、旧田幡村には、織女を祀る、やはり式内社の多奈波太神社がある。
二人は恋に落ち、逢瀬を重ね、その日も再会を誓い合った。翌日、一帯は稀に見る大雨で、若者が田幡村に行くために渡らなければならない庄内川も大変な増水となっていた。

娘に会いたい、娘が待っていると思った若者が、増水の庄内川を泳いで渡りきろうとしたものの、途中で力尽き、濁流に飲まれ、水死した。

後日、それを伝え聞いた娘も庄内川に入水した。この二人が星となって、牽牛星・織女星となったという。
当社の境内社には、天神社・津島社・神明社・金刀比羅社・秋葉社・稲荷社がある。

なお、式内社「坂庭神社」の論社は他に、小牧市多気東町の式内同名神社がある。

【ご利益】
縁結び、夫婦和合、家内安全(公式HP
星神社 愛知県名古屋市西区上小田井
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