式内に列する「たなばたじんじゃ」、信長の焼き討ちで資料消失
[住所]愛知県名古屋市北区金城4-13-16
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多奈波太神社(たなばたじんじゃ)は、愛知県名古屋市北区金城にある神社。一部では多奈波多神社とも表記か。現在は御朱印を用意していないという。

『延喜式神名帳』尾張国山田郡にある「多奈波太神社」、同じく葉栗郡にある「穴太部神社」に比定される式内社(小社)の論社。近代社格では村社。

創建は不詳。戦国時代に、織田信長による焼き討ちで社殿とともに資料などを焼失したという。名古屋城築城の際、替地によって現在地に遷座したと伝わる。

江戸時代には名古屋東照宮の管理下に置かれ、寛永年間(1624年-1645年)には尾張藩により新たに社殿が建てられた。

旧暦7月7日の例祭には藩主が訪れ、一般民衆にも垣内参詣が許されたといい、当時の様子は『尾張名所図会』に描かれるなど、多くの記録が残る。

明治時代になって、八幡社として村社となり、大正11年(1922年)には指定村社となった。

第二次世界大戦の際には神社の敷地に高射砲陣地が置かれ、「七夕の森」と呼ばれた鎮守の森の多くが切り払われた。

名古屋城天守閣が失われた昭和20年(1945年)5月14日の名古屋大空襲で、当社も社殿を焼失。現在の社殿は昭和39年(1964年)に再建されたものである。

なお、この周辺は昭和50年代まで「七夕町」、それ以前は「田端村」と呼ばれており、当社がこの地に置かれたことと関連付けて考える説もある。

御祭神は、天之多奈波太姫命。一方で、この神の着物を追っていた巫女を祀っていたとも。織女・織姫で、七夕伝説と関わりがある。

七夕に関わる神社は全国各地にあるが、市内には他に、西区上小田井の星神社がある。

他に、天照皇大神応神天皇大山津見命大己貴命素盞嗚神を祀る。

現在の例祭は旧暦七夕の月遅れで8月7日に行われる。この日は終日、夜店、笹の木がずらっと飾られ、茅の輪くぐりなども設置される。1月14日が左義長祭。

境内社に、金刀比羅社・八幡社・津島社・山神社がある。

式内社「多奈波太神社」の論社は他に、市内守山区小幡の小幡村三社明神があるという。

式内社「穴太部神社」の論社は他に、一宮市木曽川町の賀茂神社、岐阜県岐阜市柳津町の天神神社、岐阜県羽島郡笠松町の穴太部神社がある。

【ご利益】
安産、縁結び(公式HP
多奈波太神社 愛知県名古屋市北区金城
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