東谷山山頂に、志段味古墳群の上に鎮座、尾張氏の祖らを祀る古社
[住所]愛知県名古屋市守山区大字志段味字東谷2099、瀬戸市十軒町913
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尾張戸神社(おわりべじんじゃ)は、愛知県名古屋市守山区、瀬戸市十軒町にある神社。東谷山(とうごくさん)の山頂に鎮座する。参拝すれば、御朱印を頂ける。

『延喜式神名帳』にある「尾張戸神社(尾張国・山田郡)」に比定される式内社(小社)。近代社格では郷社。

社伝『東谷大明神草創本紀』によると、第13代成務天皇5年に宮簀媛命の勧請によって創建されたという。宮簀媛命は日本武尊の妃で、建稲種命の妹。

御祭神は、天火明命天香語山命・建稲種命。天香語山命は、庄内川対岸の高蔵山に降り立ち、後にこの東谷山に移ったという。

この際に白鹿に乗って川を渡ったといい、その地に架かる「鹿乗橋」に伝承の名残を残している。

近辺一帯には、国の史跡である志段味古墳群が点在する。当社本殿もその一つである尾張戸神社古墳(円墳)の墳丘上に鎮座する。

当社の境内社二社は江戸期の創建ではあるが、やはり古墳上に鎮座しており、中社(菊理媛命)は中社古墳(円墳)上に、南社(伊弉諾命)は南社古墳(円墳)にある。

平安時代末期の『尾張国内神名帳』では「尾張戸天神」と記載がある。かつては熱田神宮に次ぐ大社であったとする伝えもある。「熱田の奥の院」とも呼ばれた。

中世には、大永元年(1521年)7月17日に起きた火災によって神宮寺とともに焼失、これに伴い神宮寺は廃寺となった。同年12月には守護の斯波氏により社殿が再興されたが、戦国時代には荒廃した。

江戸時代に入り、尾張藩初代藩主徳川義直の時、当地から「当国明神」銘の鉄筒が出土した。

当時の当社は「東谷大明神」と称していたが、この時に「東谷」は「当国」すなわち「尾張国」からの変化であると見なされた。『尾張名所図会』にも詳述されている。

名古屋城の鬼門の位置に鎮座することから尾張徳川家の信仰は篤く、2代藩主徳川光友により寛文5年(1665年)には中社・南社・薬師堂が造営された。

寛文11年(1671年)には社殿の修造が行われ、それ以後も藩費による営繕が行われた。

明治維新後、明治5年(1872年)5月、郷社に列した。本殿はかつて八幡造だったが、明治期に神明造に建て替えられた。例祭は10月第2日曜日。

当社の北西側をやや下った場所に小堂がある。これは昭和10年(1935年)の参道整備の際に発見された中世の甕棺墓を現地に埋め戻して祀ったもので、「甕室明神」と呼ばれている。

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尾張戸神社 愛知県名古屋市守山区・瀬戸市十軒町
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