継体朝の創建、尾張藩主の崇敬受けて再興、例祭は10月第4日曜日
[住所]愛知県名古屋市東区徳川2-13-26
[電話]052-935-9662

片山八幡神社(かたやまはちまんじんじゃ)は、愛知県名古屋市東区徳川にある神社。参拝すれば、御朱印を頂ける。

『延喜式神名帳』にある「片山神社(尾張国・山田郡)」に比定される式内社(小社)の論社。近代社格では県社

社伝によれば、第26代継体天皇5年(511年)、尾張国山田郡片山郷、つまり現在地に鎮座したという。

御祭神は、誉田別尊(応神天皇)。当初は大曽根八幡社と呼ばれ、大曽根の地名の由来となった。

室町時代中期までは、押領地を有して本地御堂が備わっていたが、戦国時代になり、たびたびの兵火に遭った。

天正12年(1584年)、小牧・長久手の戦いの兵火が最大で、多くの文献が焼失、以降極めて荒廃したという。

この時期、一時、熱田神宮に仮遷座し、その際は大原与三大夫がお守役になったと伝わる。

江戸時代になり、元禄年間(1688年-1704年)、尾張藩2代藩主徳川光友(瑞龍公)がたまたまこの地を通りかかった。

森厳なる社地を見、その荒廃を嘆き、ただちに東照宮の神主であった吉見民部大輔とその嫡子左京大夫(吉見幸和)に命じて、社殿の造営を進めさせた。

元禄8年(1695年)11月、その落成を待って、遷宮の祭儀が執行され、この時、境内で祀っていた天照皇大神菊理媛神を同殿合祀した。

造営に際しては、江戸高田穴八幡の宮を模し、瑞龍公も崇敬するようになった。また、山田即斎に穴八幡の神楽拍子を習得させて、当地に伝授させた。

その後、尾張徳川家では当社を氏神とし、年4回の国内繁栄・五穀豊穣・武運長久の祈願、名古屋市中の鬼門除けの祈祷を行った。

明治5年(1872年)、村社に列し、明治41年(1908年)、神饌幣帛供進社に指定され、昭和4年(1929年)9月、県社に昇格した。

以降、境内整備計画が進められ、昭和8年(1933年)、本殿以下新築、移転、修造、参道整備が完成したものの、昭和20年(1945年)の戦災で焼失。

昭和25年(1950年)、応急処置として仮社務所を設け、市の復興都市計画に伴い、昭和32年(1957年)、隣接の神明社とその末社である若宮八幡社・稲荷社を合併した。

昭和34年(1959年)、本殿以下幣殿、拝殿、透塀、斎館、渡廊下などを建設、昭和44年(1969年)には神楽殿を、昭和49年(1974年)には社務所を建設した。

平成8年(1996年)にも造営大改修工事を行い、平成10年(1998年)に完工、現在に至る。

例祭は10月25日。現在は10月第4日曜日。大曽根みこし連「橘会」による平成に復興した「瑞龍みこし」と呼ばれる男神輿・女神輿の渡御がある。

例大祭前日には前日祭があり、出店や奉納演芸がある。2月3日が節分祭で、豆まき追儺神事が行われる。2月11日が厄除祭、6月30日が茅輪神事。

境内社として、谷龍神社(闇淤加美神)、御嶽神社遙拝所がある。谷龍神社は、尾張徳川別邸、通称大曽根別邸に鎮座していた姫子龍神社が遷座したもの。

六末社として、宗像社(奥津島比売命市寸島比売命多岐都比売命)・秋葉社(火之迦具土神)・津島社(素盞鳴尊大穴牟遅命)・青麻社(天之御中主神・天照大御神・月読命)・金刀比羅社(大物主神・崇徳上皇)、愛宕社(火産命・日本武尊)がある。

なお、尾張国山田郡の式内社「片山神社」の論社は他に、市内東区芳野の片山神社がある。ただし、当社の式内比定は有力ではないようだ。当社自身も特段、式内社を標榜していない。

また、尾張国には春日部郡にも同名の式内社があり、その論社の一つに小牧市村中洞木の片山八幡社があるが、当社とは別の神社。

【ご利益】
厄災除け、開運招福、問題解決(公式HP
片山八幡神社 愛知県名古屋市東区徳川
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