火の上を走る神事からの命名、火の神を祀る、室町期の摂社社殿
[住所]大阪府泉佐野市大木1534
[電話]072-459-7511
火走神社(ひばしりじんじゃ)は、大阪府泉佐野市大木にある神社。御朱印の有無は不明。
『延喜式』巻9・10神名帳 畿内神 和泉国 日根郡「火走神社」に比定される式内社(小社)。近代社格では郷社。
創建は不詳。第33代推古天皇2年2月、圭田29束と三畝田を寄進して祭礼を執行したとの記録があり、それ以前の創祀と思われる。
御祭神は軻遇突智命。「火走」の名は『泉州志』によると、江戸時代前期の元禄年間(1688年-1704年)以前、男巫が火の上を走る行事があったことによるという。
境内は「日根荘遺跡」の一つとして国の史跡に指定されている。当社のほか、円満寺・毘沙門堂・蓮華寺・香積寺跡が指定されている。
鎌倉時代の正応2年(1289年)書写の『和泉国神名帳』には日根郡19社の一つとして、「従五位上火走社」とある。
文亀元年(1501年)の九条政基の日記『政基公旅引付』や寛政8年(1796年)刊行の『和泉名所図会』などには瀧宮、瀧大明神と見える。
境内にある灯籠にも瀧大明神と刻まれたものが多くあるところから、中世以降は瀧宮、瀧大明神の名で通っていたと思われる。
戦国時代の永正2年(1505年)9月14日に造営の記録がある。また、天正13年(1585年)、兵火にかかり焼失。
現在の社殿は元和8年(1622年)8月16日の造営で、一間社春日造、桧皮葺、三方に縁をめぐらし、前方に一間の向拝を設け、木部には極彩式の牡丹桜雲松波などを描く。
蟇股には天人獅子を彫刻し桃山美術の精悍を今日も伝えている。市の文化財に指定されている。
江戸時代中期の享保11年(1726年)8月5日、宗源の宣旨により正一位に進んだ。
現在社務所となっている建物は、かっては当社の神宮寺で上宝院滝本坊滝音寺と称していた。明治初年の神仏分離で廃寺となった。
当社保有の仏像仏具は七宝滝寺に移付したという。当社名の由来となった火渡り神事は修験道を思わせ、七宝滝寺との関係を指摘する声もある。
明治5年(1872年)、村社に列し、明治40年(1907年)1月、神饌幣帛料供進社に指定された。大正元年(1912年)12月6日、郷社に昇格した。例祭は10月10日。
境内社に、幸神社がある。幸社、幸殿などとも。御祭神は大己貴命・少彦名命・事代主大神・市杵嶋姫命で、誉田別尊・奥津日子神・奥津比売命を配祀する。
その社殿は、建築年代不明ながらも、当社の「本殿よりはるかに古い」とされており、室町時代にさかのぼるとされている。一間社春日造。国の重要文化財に指定されている。
他に境内社として、春日神社(武甕槌神・経津主神・天児屋根命・比売神。大山祇神を配祀)がある。江戸時代中期の宝暦2年(1750年)の造営。
他に八坂神社(素盞鳴尊)、大年神社(大年神)、丹生神社(稚日女尊)がある。
丹生神社について、当社名に関わる南北朝時代の伝説が残る。それによれば、時の後村上天皇が「火走」の社号を与えたとされるが、式内の昔から当社号は「火走」であって、齟齬がある。
【ご利益】
火防、武運長久・勝運

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火走神社(ひばしりじんじゃ)は、大阪府泉佐野市大木にある神社。御朱印の有無は不明。
『延喜式』巻9・10神名帳 畿内神 和泉国 日根郡「火走神社」に比定される式内社(小社)。近代社格では郷社。
創建は不詳。第33代推古天皇2年2月、圭田29束と三畝田を寄進して祭礼を執行したとの記録があり、それ以前の創祀と思われる。
御祭神は軻遇突智命。「火走」の名は『泉州志』によると、江戸時代前期の元禄年間(1688年-1704年)以前、男巫が火の上を走る行事があったことによるという。
境内は「日根荘遺跡」の一つとして国の史跡に指定されている。当社のほか、円満寺・毘沙門堂・蓮華寺・香積寺跡が指定されている。
鎌倉時代の正応2年(1289年)書写の『和泉国神名帳』には日根郡19社の一つとして、「従五位上火走社」とある。
文亀元年(1501年)の九条政基の日記『政基公旅引付』や寛政8年(1796年)刊行の『和泉名所図会』などには瀧宮、瀧大明神と見える。
境内にある灯籠にも瀧大明神と刻まれたものが多くあるところから、中世以降は瀧宮、瀧大明神の名で通っていたと思われる。
戦国時代の永正2年(1505年)9月14日に造営の記録がある。また、天正13年(1585年)、兵火にかかり焼失。
現在の社殿は元和8年(1622年)8月16日の造営で、一間社春日造、桧皮葺、三方に縁をめぐらし、前方に一間の向拝を設け、木部には極彩式の牡丹桜雲松波などを描く。
蟇股には天人獅子を彫刻し桃山美術の精悍を今日も伝えている。市の文化財に指定されている。
江戸時代中期の享保11年(1726年)8月5日、宗源の宣旨により正一位に進んだ。
現在社務所となっている建物は、かっては当社の神宮寺で上宝院滝本坊滝音寺と称していた。明治初年の神仏分離で廃寺となった。
当社保有の仏像仏具は七宝滝寺に移付したという。当社名の由来となった火渡り神事は修験道を思わせ、七宝滝寺との関係を指摘する声もある。
明治5年(1872年)、村社に列し、明治40年(1907年)1月、神饌幣帛料供進社に指定された。大正元年(1912年)12月6日、郷社に昇格した。例祭は10月10日。
境内社に、幸神社がある。幸社、幸殿などとも。御祭神は大己貴命・少彦名命・事代主大神・市杵嶋姫命で、誉田別尊・奥津日子神・奥津比売命を配祀する。
その社殿は、建築年代不明ながらも、当社の「本殿よりはるかに古い」とされており、室町時代にさかのぼるとされている。一間社春日造。国の重要文化財に指定されている。
他に境内社として、春日神社(武甕槌神・経津主神・天児屋根命・比売神。大山祇神を配祀)がある。江戸時代中期の宝暦2年(1750年)の造営。
他に八坂神社(素盞鳴尊)、大年神社(大年神)、丹生神社(稚日女尊)がある。
丹生神社について、当社名に関わる南北朝時代の伝説が残る。それによれば、時の後村上天皇が「火走」の社号を与えたとされるが、式内の昔から当社号は「火走」であって、齟齬がある。
【ご利益】
火防、武運長久・勝運

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