高野・紀州街道の近くに鎮座、もとは「高志の祖、王仁を祀る」?
[住所]大阪府高石市高師浜4-1-19
[電話]072-261-1795
高石神社(たかしのじんじゃ)は、大阪府高石市高師浜にある神社。参拝すれば、御朱印を頂ける。
『延喜式』巻9・10神名帳 畿内神 和泉国 大鳥郡「高石神社」に比定される式内社(小社)。近代社格では郷社。
もとの和泉国大鳥郡高石村。創建は飛鳥時代の白雉元年(650年)と伝わる。御祭神は、少彦名神・天照皇大御神・熊野坐三社。
平安時代には、高野・紀州街道に近く、熊野詣の途次に位置して、高石荘の鎮守神として崇敬された。
当時は大阪湾に面する松林の中に境内があり、現在の地名である高師浜の名は、白砂青松の美しい海岸として万葉の時代から数々の和歌に詠まれてきた。
現在も当社の境内西側には昔の高師浜の松が残っている。また、次の歌碑がある。
今の社殿は、寛永12年(1635年)の再建。『和泉名所図絵』には、「高志の祖、王仁を祀る」とある。
このことから、往古は境内に王仁を祀る一社があったともされる。一方で、当地に居住した高石連がその祖・王仁を氏神として祀ったものこそ当社、とも。
明治41年(1908年)、小高石鎮座の八幡神社(応神天皇)、北鎮座の八坂神社・彌栄神社(素盞鳴命)、春日神社(天兒屋根命)、南鎮座の船富神社(神功皇后)を合祀。
明治42年(1909年)5月、もと新鎮座の新井神社(少彦名命・大已貴命・事代主命)を本社に相殿として合祀した。
昭和9年(1934年)9月21日、関西地方を襲った風水害に遭い、被害甚大、巨木は倒壊し、社殿も損壊したが、翌年には復旧起工、昭和11年(1936年)に竣工した。
毎年10月5日の秋季大祭では当社の御旅所まで、神輿御渡が行われる。また、大鳥羽衣濱神社・等乃伎神社とともに羽衣地車祭と総称される。翌日が例祭。
境内には熊野権現の碑がある。
【ご利益】
交通・旅行安全、健康長寿、開運招福(公式HP)
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[電話]072-261-1795
高石神社(たかしのじんじゃ)は、大阪府高石市高師浜にある神社。参拝すれば、御朱印を頂ける。
『延喜式』巻9・10神名帳 畿内神 和泉国 大鳥郡「高石神社」に比定される式内社(小社)。近代社格では郷社。
もとの和泉国大鳥郡高石村。創建は飛鳥時代の白雉元年(650年)と伝わる。御祭神は、少彦名神・天照皇大御神・熊野坐三社。
平安時代には、高野・紀州街道に近く、熊野詣の途次に位置して、高石荘の鎮守神として崇敬された。
当時は大阪湾に面する松林の中に境内があり、現在の地名である高師浜の名は、白砂青松の美しい海岸として万葉の時代から数々の和歌に詠まれてきた。
現在も当社の境内西側には昔の高師浜の松が残っている。また、次の歌碑がある。
祐子内親王家紀伊(百人一首)寛治年間(1087年-1095年)に社殿の再建があり、『和泉国神名帳』に「従五位上高石大歳社、高石創立社」とあり、今天神と称した。
音に聞く 高師の浜の 仇浪は かけじや袖の ぬれもこそすれ
逍遥院三條西実隆(逍遥院殿高野紀行)
袖の上に 松風吹く風や あだ浪の 高師の浜の 名をも立つらん
今の社殿は、寛永12年(1635年)の再建。『和泉名所図絵』には、「高志の祖、王仁を祀る」とある。
このことから、往古は境内に王仁を祀る一社があったともされる。一方で、当地に居住した高石連がその祖・王仁を氏神として祀ったものこそ当社、とも。
明治41年(1908年)、小高石鎮座の八幡神社(応神天皇)、北鎮座の八坂神社・彌栄神社(素盞鳴命)、春日神社(天兒屋根命)、南鎮座の船富神社(神功皇后)を合祀。
明治42年(1909年)5月、もと新鎮座の新井神社(少彦名命・大已貴命・事代主命)を本社に相殿として合祀した。
昭和9年(1934年)9月21日、関西地方を襲った風水害に遭い、被害甚大、巨木は倒壊し、社殿も損壊したが、翌年には復旧起工、昭和11年(1936年)に竣工した。
毎年10月5日の秋季大祭では当社の御旅所まで、神輿御渡が行われる。また、大鳥羽衣濱神社・等乃伎神社とともに羽衣地車祭と総称される。翌日が例祭。
境内には熊野権現の碑がある。
【ご利益】
交通・旅行安全、健康長寿、開運招福(公式HP)
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