『日本書記』来狭村、『続日本紀』玖左佐村の地、老杉の鎮守の森
[住所]大阪府豊能郡能勢町宿野274-1
[電話]072-734-2017

久佐々神社(くささじんじゃ)は、大阪府豊能郡能勢町宿野にある神社。御朱印の有無は不明。

延喜式』巻9・10神名帳 畿内神 摂津国 能勢郡「久佐佐神社」に比定される式内社(小社)。近代社格では郷社。

『日本書紀』第21代雄略天皇17年3月2日の条に、天皇が朝夕の食事に使われる食器を献納する詔が下った。

土師氏の祖である吾笥が、摂津国来狭村などに居住している部民を、土器を作る職人・贄土師部として朝廷に献上した、とある。

この中の来狭村が当地のことで、このことから、当初の御祭神は土師氏の祖神である天穂日命だった可能性がある。

また、『続日本紀』元明天皇の条に「玖左佐村」があり、大宝元年(701年)に郡の館舎を建てたとある。

その後、奈良時代初期の和銅6年(712年)、当社は創建されたと伝わる。一説に、平安時代初期の大同年間(806年-809年)とも。

どちらにしろ、奈良期、能勢郡の設置に伴い、能勢郡郡司が奉斎した。

その中で、神人の為奈麻呂は賀茂氏と同族だったため、その祖神である加茂別雷神を奉斎するようになったとされる。

能勢郡の式内は三社で、当社の他は、野間神社岐尼神社があるのみで、当社は能勢三社の一つとなった。

「久佐々大明神」「賀茂久佐々大明神」「宿野大明神」「草々明神」など様々な名称で呼ばれた。

近世には、宮寺として真言宗寛学寺があり、当寺の別当が代々寺社の祭事を務めた。

江戸時代中期の享保年間(1716年-1736年)、社号を宿野大明神と改め、さらに享保18年(1733年)8月、正一位久佐々神社と復称した。

明治5年(1872年)、郷社に列し、明治40年(1907年)、大字宿野・大里・柏原・片山・平通・下田の各神社を合祀、明治41年(1908年)5月、神饌幣帛料供進社に指定された。

現在は、猿田彦命大歳神速素戔嗚尊応神天皇を合祀する。例祭は5月16日。

正面に拝殿、奥には春日造桧皮葺の本殿がある。江戸時代中期の安永9年(1780年)8月1日に再建されたもの。

左側には末社、合祀社があり、右には極めて希少な長床があり、ありし日の奉納芝居の盛況を今に伝えている。

境内には、昔も今も変わらない老杉がうっそうと茂り、伝統的な鎮守の森を形成している。

春まだ浅いころ、当社境内に花を咲かせる「一華草(せつぶんそう)」は、珍奇な草花として、朝廷に献上された記録が残る。

【ご利益】
リフレッシュ、地域安全、一族・子孫繁栄
久佐々神社 大阪府豊能郡能勢町宿野
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