式内二座のうちの一座、社名通りの御祭神、戦国期に兵火で衰微
[住所]大阪府吹田市佐井寺1-18-26
[電話]06-6380-1370
伊射奈岐神社(いざなぎじんじゃ)は、大阪府吹田市佐井寺にある神社。参拝すれば、御朱印を頂ける。
『延喜式』巻9・10神名帳 畿内神 摂津国 島下郡「伊射奈岐神社二座」の一座に比定される式内社(大社、月次新嘗)。近代社格では村社。
「伊射奈岐神社二座」のもう一座は、市内山田東に鎮座する旧郷社の同名神社とされている。
社伝によると、第21代雄略天皇の代に伊勢の神宮(伊勢神宮)の斎宮である倭姫の示教により、大佐々之命(岡本豊足彦)が五柱の皇大神を奉祀する地を探し求めた。
そして付近の小川谷の地に祀ったという。主祭神は伊射奈岐命。山田東の同名神社と区別するため、当社は奥宮と呼ばれた。
もともとは当社が母体であり、山田東は当社を勧請・奉斎したものか。当社が社名通りの御祭神であるのに対して、山田東はその姫神である伊射奈美命を主神としている。
また、当社の別名である奥宮も、それを暗示させる。分祀の時期は平安時代前期の貞観年間(859年-877年)あたりとされている。
しかし、近代社格では当社の村社に対して、山田東は郷社に列しており、逆転している。
戦国時代、応仁の乱から元和元年(1615年)にかけて、兵火にかかること多く、天文2年(1533年)には村とともに全焼し、衰微。
江戸時代になり、正保4年(1647年)に再建された。正面鳥居は寛永12年(1672年)に建立された。
現在の社殿は、平成4年(1992年)に新たに造営されたもの。享和3年(1803年)作とされる神殿を覆っている。
現在は、八幡大神・素盞嗚大神を配祀する。例祭は、10月10日が例大祭で、子ども神輿・太鼓神輿が巡航する。5月5日が春季例祭。
1月15日に大とんど(左義長蔡)古神社札等の焼上、6月30日に夏越大祓い茅の輪くぐりがある。
境内社に、口水神社・稲荷神社がある。
【ご利益】
事業成功、家内安全、地域安全、厄災除け
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伊射奈岐神社(いざなぎじんじゃ)は、大阪府吹田市佐井寺にある神社。参拝すれば、御朱印を頂ける。
『延喜式』巻9・10神名帳 畿内神 摂津国 島下郡「伊射奈岐神社二座」の一座に比定される式内社(大社、月次新嘗)。近代社格では村社。
「伊射奈岐神社二座」のもう一座は、市内山田東に鎮座する旧郷社の同名神社とされている。
社伝によると、第21代雄略天皇の代に伊勢の神宮(伊勢神宮)の斎宮である倭姫の示教により、大佐々之命(岡本豊足彦)が五柱の皇大神を奉祀する地を探し求めた。
そして付近の小川谷の地に祀ったという。主祭神は伊射奈岐命。山田東の同名神社と区別するため、当社は奥宮と呼ばれた。
もともとは当社が母体であり、山田東は当社を勧請・奉斎したものか。当社が社名通りの御祭神であるのに対して、山田東はその姫神である伊射奈美命を主神としている。
また、当社の別名である奥宮も、それを暗示させる。分祀の時期は平安時代前期の貞観年間(859年-877年)あたりとされている。
しかし、近代社格では当社の村社に対して、山田東は郷社に列しており、逆転している。
戦国時代、応仁の乱から元和元年(1615年)にかけて、兵火にかかること多く、天文2年(1533年)には村とともに全焼し、衰微。
江戸時代になり、正保4年(1647年)に再建された。正面鳥居は寛永12年(1672年)に建立された。
現在の社殿は、平成4年(1992年)に新たに造営されたもの。享和3年(1803年)作とされる神殿を覆っている。
現在は、八幡大神・素盞嗚大神を配祀する。例祭は、10月10日が例大祭で、子ども神輿・太鼓神輿が巡航する。5月5日が春季例祭。
1月15日に大とんど(左義長蔡)古神社札等の焼上、6月30日に夏越大祓い茅の輪くぐりがある。
境内社に、口水神社・稲荷神社がある。
【ご利益】
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