雄略朝に倭姫の示教によって奉斎、五社宮と呼ばれた式内二座の一座
[住所]大阪府吹田市山田東2-3-1
[電話]06-6877-5921
伊射奈岐神社(いざなぎじんじゃ)は、大阪府吹田市山田東にある神社。参拝すれば、御朱印を頂ける。
『延喜式』巻9・10神名帳 畿内神 摂津国 島下郡「伊射奈岐神社二座」の一座に比定される式内社(大社、月次新嘗)。近代社格では郷社。
社伝によると、第21代雄略天皇の代に伊勢の神宮(伊勢神宮)の斎宮である倭姫の示教によって、大佐々之命(岡本豊足彦)が五柱の皇大神を奉祀する地を探し求めた。
そして現在地付近の小川谷の地に祀ったという。主祭神は伊射奈美命。当初は姫宮社と呼ばれた。
相殿に、天照皇大神・天児屋根命・手力雄命・天忍熊根命(天忍雲根神)・蛭子命を祀る。
『日本三代実録』によれば、貞観元年(859年)正月、従五位上を授けられた。仁寿2年(852年)に高庭山に移して、五社の宮に改称したという。
「伊射奈岐神社二座」のうちのもう一座は、市内佐井寺に鎮座する旧村社の同名神社とされている。
江戸時代には一般的に五社宮と呼ばれていた。江戸時代前期の寛永13年(1636年)に神殿、拝殿を建造した。
明治3年(1870年)に現社号に変更し、明治44年(1911年)に山田上の土山神社と天満神社、大名牟遅神社、および山田下の天満神社を境内に合併・移転した。
本殿は全国的にも数少ない五門社流造檜皮葺で、現在は府の有形文化財に指定されている。拝殿は昭和45年(1970年)に改築したもの。
明神鳥居の大鳥居は高さ約5.7メートル、慶安3年(1650年)建造、安政元年(1854年)再造立。
社号標石は、江戸時代中期の学者、並河誠所が摂津国式内20社について神名帳にみえる社号を刻んだ標の建立を幕府に願い出て、建てることが許されたもの。市指定有形文化財。
参道にある狛犬がちょっと変わっており、カエルか恐竜のような形態。
例祭は春祭が5月10日、秋祭が10月体育の日の前日。1月に戎祭があり、9日が宵戎、10日が本戎、11日が残り福。
【ご利益】
子宝・安産、開運招福、商売繁盛(公式HP)
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伊射奈岐神社(いざなぎじんじゃ)は、大阪府吹田市山田東にある神社。参拝すれば、御朱印を頂ける。
『延喜式』巻9・10神名帳 畿内神 摂津国 島下郡「伊射奈岐神社二座」の一座に比定される式内社(大社、月次新嘗)。近代社格では郷社。
社伝によると、第21代雄略天皇の代に伊勢の神宮(伊勢神宮)の斎宮である倭姫の示教によって、大佐々之命(岡本豊足彦)が五柱の皇大神を奉祀する地を探し求めた。
そして現在地付近の小川谷の地に祀ったという。主祭神は伊射奈美命。当初は姫宮社と呼ばれた。
相殿に、天照皇大神・天児屋根命・手力雄命・天忍熊根命(天忍雲根神)・蛭子命を祀る。
『日本三代実録』によれば、貞観元年(859年)正月、従五位上を授けられた。仁寿2年(852年)に高庭山に移して、五社の宮に改称したという。
「伊射奈岐神社二座」のうちのもう一座は、市内佐井寺に鎮座する旧村社の同名神社とされている。
江戸時代には一般的に五社宮と呼ばれていた。江戸時代前期の寛永13年(1636年)に神殿、拝殿を建造した。
明治3年(1870年)に現社号に変更し、明治44年(1911年)に山田上の土山神社と天満神社、大名牟遅神社、および山田下の天満神社を境内に合併・移転した。
本殿は全国的にも数少ない五門社流造檜皮葺で、現在は府の有形文化財に指定されている。拝殿は昭和45年(1970年)に改築したもの。
明神鳥居の大鳥居は高さ約5.7メートル、慶安3年(1650年)建造、安政元年(1854年)再造立。
社号標石は、江戸時代中期の学者、並河誠所が摂津国式内20社について神名帳にみえる社号を刻んだ標の建立を幕府に願い出て、建てることが許されたもの。市指定有形文化財。
参道にある狛犬がちょっと変わっており、カエルか恐竜のような形態。
例祭は春祭が5月10日、秋祭が10月体育の日の前日。1月に戎祭があり、9日が宵戎、10日が本戎、11日が残り福。
【ご利益】
子宝・安産、開運招福、商売繁盛(公式HP)
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