「石神社のくす」、古代寺院「智識寺」の礎石が残る皇后祀る古社
[住所]大阪府柏原市太平寺2-19-13
[電話]072-971-2240
石神社(いわじんじゃ)は、大阪府柏原市太平寺にある神社。御朱印の有無は不明。
『延喜式』巻9・10神名帳 畿内神 河内国 大県郡「石神社」に比定される式内社(小社)。近代社格では郷社。
市内太平寺地区の生駒山地南端に近い小高い丘陵の山腹に鎮座する。麓の境内に社務所が、高い石段を登ったところに社殿がある。本殿は古墳の上にあるとも。
御祭神は石姫皇女。第28代宣化天皇の皇女で、第29代欽明天皇の皇后で、第30代敏達天皇の生母である。他に石長姫命、熊野権現を祀る。そのため、熊野観音とも。
創建は不詳だが、『日本三代実録』の貞観9年(867年)、「河内国大県郡石神預官社」とある。
境内にある大きなクスノキは、周囲約6メートル・高さ約16メートル以上の大木で、樹齢700-800年と推定されており、「石神社のくす」として、府指定天然記念物。
かつて、この辺りに「智識寺」と呼ばれる寺院があった。聖武天皇、孝謙天皇が難波宮と平城宮を往来する際にここを訪れ、礼拝例仏したという。
智識寺には大きい廬舎那仏があり、これを見た聖武天皇が東大寺大仏造営を発願したといわれている。その後、寺は室町時代ごろに廃れたとされる。
境内社務所横には、智識寺の東塔の礎石があり、府の文化財に指定されている。礎石の柱穴の直径は122センチある。
かつては当社の手洗い石として使用されていたようだが、現在は柵で囲われている。なお、当社北東に、智識寺の法灯を継ぐとされる天冠山観音寺がある。
例祭は10月19日で秋祭り。7月18日・19日には夏季大祭があり、太平寺夏まつりとも。
当社の前を通り、北へ抜ける道筋は、かつて東高野街道ができる前から存在し、生駒山地の山麓を南北に通っていた古道の一部。
在原業平が大和国と河内国一宮の枚岡神社の間を通ったとされる、いわゆる「業平道」だといわれている。
【ご利益】
子宝・安産・子育て、健康長寿

【関連記事】
・大阪府の神社 - 本サイトに掲載されている神社で、大阪府に鎮座している神社の一覧
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石神社(いわじんじゃ)は、大阪府柏原市太平寺にある神社。御朱印の有無は不明。
『延喜式』巻9・10神名帳 畿内神 河内国 大県郡「石神社」に比定される式内社(小社)。近代社格では郷社。
市内太平寺地区の生駒山地南端に近い小高い丘陵の山腹に鎮座する。麓の境内に社務所が、高い石段を登ったところに社殿がある。本殿は古墳の上にあるとも。
御祭神は石姫皇女。第28代宣化天皇の皇女で、第29代欽明天皇の皇后で、第30代敏達天皇の生母である。他に石長姫命、熊野権現を祀る。そのため、熊野観音とも。
創建は不詳だが、『日本三代実録』の貞観9年(867年)、「河内国大県郡石神預官社」とある。
境内にある大きなクスノキは、周囲約6メートル・高さ約16メートル以上の大木で、樹齢700-800年と推定されており、「石神社のくす」として、府指定天然記念物。
かつて、この辺りに「智識寺」と呼ばれる寺院があった。聖武天皇、孝謙天皇が難波宮と平城宮を往来する際にここを訪れ、礼拝例仏したという。
智識寺には大きい廬舎那仏があり、これを見た聖武天皇が東大寺大仏造営を発願したといわれている。その後、寺は室町時代ごろに廃れたとされる。
境内社務所横には、智識寺の東塔の礎石があり、府の文化財に指定されている。礎石の柱穴の直径は122センチある。
かつては当社の手洗い石として使用されていたようだが、現在は柵で囲われている。なお、当社北東に、智識寺の法灯を継ぐとされる天冠山観音寺がある。
例祭は10月19日で秋祭り。7月18日・19日には夏季大祭があり、太平寺夏まつりとも。
当社の前を通り、北へ抜ける道筋は、かつて東高野街道ができる前から存在し、生駒山地の山麓を南北に通っていた古道の一部。
在原業平が大和国と河内国一宮の枚岡神社の間を通ったとされる、いわゆる「業平道」だといわれている。
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