神功皇后所用の雛形の兜、小野妹子の墳墓に隣接、7月に神輿・だんじり
[住所]大阪府南河内郡太子町山田3751
[電話]0721-98-0136
科長神社(しながじんじゃ)は、大阪府南河内郡太子町山田にある神社。参拝すれば、御朱印を頂ける。
『延喜式』巻9・10神名帳 畿内神 河内国 石川郡「科長神社」に比定される式内社(小社)。近代社格では郷社。
創建の年代は不詳。主祭神は風の神である級長津彦命・級長津姫命。もとは二上山上に鎮座し、二上権現と称していた。
鎌倉時代の暦仁元年(1238年)に現在地に遷座した。藤原頼孝による遷座とされ、この時に藤原氏の祖神である春日神を勧請・合祀したという。
後の八社大明神のいわれもこれに由来するという。現在地にはもともと恵比須神社、一名を土祖神社(息長宿禰・葛城高額媛)とする神社があった。
当社が当地に遷座するに当たり、その末社とされたと伝えられる。江戸時代までは八社大明神と称した。
また、当地は神功皇后誕生の地という伝承もあり、社宝に神功皇后所用と伝える雛形の兜がある。
「科長→磯長→息長と転じ、息長氏の出である神功皇后の誕生地伝説が生まれた、ともされるが、先の、神功皇后の両親を祀る土祖神社は古くからの鎮座と考えられる。
明治5年(1872年)4月1日、郷社に列し、明治40年(1907年)1月28日、神饌幣帛供進社に指定された。明治40年、近隣の科長岡神社・素盞嗚神社を合祀した。
現在、素盞鳴命・品陀別命・建御名方命・武甕槌命・経津主命・天児屋根命・天照大神を配祀する。
また、天御柱国御柱大神・天児屋根命・品陀別命・八坂大神・道祖大神・保食神・菅原道真・市杵島姫命・天照大神を合祀する。
御祭神に日本武尊を加える説もある。境内社として二上神社・恵比須神社・琴平神社・稲荷神社がある。
例祭は7月第4日曜日。神輿と地車(だんじり)5台が出されて賑わう。
一帯はかつて蘇我倉山田石川麻呂の本貫地で、社頭には小野妹子の墳墓や小野妹子神社があり、近くには孝徳天皇陵・推古天皇陵がある。
また、太子町内の叡福寺には磯長陵 (しながりょう、聖徳太子廟所、叡福寺北古墳)がある。
【ご利益】
五穀豊穣、一族・子孫繁栄、諸願成就

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・大阪府の神社 - 本サイトに掲載されている神社で、大阪府に鎮座している神社の一覧
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科長神社(しながじんじゃ)は、大阪府南河内郡太子町山田にある神社。参拝すれば、御朱印を頂ける。
『延喜式』巻9・10神名帳 畿内神 河内国 石川郡「科長神社」に比定される式内社(小社)。近代社格では郷社。
創建の年代は不詳。主祭神は風の神である級長津彦命・級長津姫命。もとは二上山上に鎮座し、二上権現と称していた。
鎌倉時代の暦仁元年(1238年)に現在地に遷座した。藤原頼孝による遷座とされ、この時に藤原氏の祖神である春日神を勧請・合祀したという。
後の八社大明神のいわれもこれに由来するという。現在地にはもともと恵比須神社、一名を土祖神社(息長宿禰・葛城高額媛)とする神社があった。
当社が当地に遷座するに当たり、その末社とされたと伝えられる。江戸時代までは八社大明神と称した。
また、当地は神功皇后誕生の地という伝承もあり、社宝に神功皇后所用と伝える雛形の兜がある。
「科長→磯長→息長と転じ、息長氏の出である神功皇后の誕生地伝説が生まれた、ともされるが、先の、神功皇后の両親を祀る土祖神社は古くからの鎮座と考えられる。
明治5年(1872年)4月1日、郷社に列し、明治40年(1907年)1月28日、神饌幣帛供進社に指定された。明治40年、近隣の科長岡神社・素盞嗚神社を合祀した。
現在、素盞鳴命・品陀別命・建御名方命・武甕槌命・経津主命・天児屋根命・天照大神を配祀する。
また、天御柱国御柱大神・天児屋根命・品陀別命・八坂大神・道祖大神・保食神・菅原道真・市杵島姫命・天照大神を合祀する。
御祭神に日本武尊を加える説もある。境内社として二上神社・恵比須神社・琴平神社・稲荷神社がある。
例祭は7月第4日曜日。神輿と地車(だんじり)5台が出されて賑わう。
一帯はかつて蘇我倉山田石川麻呂の本貫地で、社頭には小野妹子の墳墓や小野妹子神社があり、近くには孝徳天皇陵・推古天皇陵がある。
また、太子町内の叡福寺には磯長陵 (しながりょう、聖徳太子廟所、叡福寺北古墳)がある。
【ご利益】
五穀豊穣、一族・子孫繁栄、諸願成就

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