「こま」久宝寺の牛頭天王、太子自作の本尊、1月に鷽、2月に節分
[住所]大阪府八尾市久宝寺5-4-8
[電話]072-923-4235

許麻神社(こまじんじゃ)は、大阪府八尾市久宝寺にある神社。参拝すれば、御朱印を頂ける。

延喜式』巻9・10神名帳 畿内神 河内国 渋川郡「許麻神社」に比定される式内社(小社)。近代社格では郷社。

創祀年代は不詳。『和名抄』には、若江郡、大縣郡に巨麻郷の名が見える。

河内湖の干上がった当地付近は渡来系の者が多く住み着いたようで、社名の許麻(こま)は高麗に通じるとされる。

河内国諸蕃の大狛連の居住地で、その祖神を祀ったと伝えられる。御祭神は素盞鳴命で、高麗王霊神・牛頭天王・許麻大神を配祀する。

手洗舎は往古この境内に許麻の宮寺として久宝寺観音院があり、真言宗大悲閣と呼ばれた、その鐘楼。

旧記によれば、この寺は聖徳太子の建立によるもので、太子自作の十一面観音を本尊としていたと伝えられる。

第33代推古天皇2年3月に勅願所となったが、戦国時代に松永久秀の乱による兵火にかかり、焼失。その後、江戸時代前期の寛文7年(1667年)7月、再建された。

太子自作の本尊は難を逃れ、伊賀国に疎開したが、紆余曲折を経て、現在は同じ久宝寺町にある念仏寺に安置されている。

江戸時代には久宝寺の牛頭天王と称されたが、明治初年の神仏分離により、久宝寺は廃寺。その鐘楼が当社の手洗舎になった。

なお、古老によれば、この鐘楼の釣鐘(梵鐘)は有名で、その響きは十里の外まで及び、大和高田まで達したと伝えられている。

梵鐘は明治維新後に行方不明となったが、明治37年(1904年)の日露戦争の際、捕虜となった清水重吉という人が、ニコライの寺院に渋川郡久芳寶寺村と刻印のある大鐘を目撃したという。

明治5年(1872年)、郷社に列し、明治39年(1906年)4月28日、神饌幣帛料供進指定社に指定された。

社殿に関して、安土桃山時代の天正10年(1582年)に改建の記録があるが、その後何度も修復がされたものの、昭和44年(1969年)、不審火で焼失。

現在の社殿はその2年後の昭和46年(1971年)、鉄筋構造で再興されたもの。

例祭は10月16日。7月に夏祭りがあり、ふとん太鼓やだんじりが町内を練り歩く。

近年、2月3日の節分において、鬼を退治し、無病息災を願う追儺式、鬼追い式が行われている。

境内社に、金比羅神社・厳島神社・八幡神社・太宰府神社・秋葉神社がある。

太宰府神社に関連して、初天神の日の1月25日にうそかえ祭りが行われる。平日にあたる場合は初天神に一番近い日曜日。木彫りの鷽は初穂料500円。

通りを隔てて許麻橋地蔵がある。天文21年(1552年)、亡父の追善供養のために建立されたものだが、現在では安産地蔵と呼ばれる。

【ご利益】
厄災除け、病魔退散、無病息災
許麻神社 大阪府八尾市久宝寺
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