飛鳥朝に鴨氏が祖神を奉斎、中・近世には八幡宮、通称「お駒樟」
[住所]大阪府東大阪市高井田元町1-5-3
[電話]06-6781-0484

鴨高田神社(かもたかだじんじゃ)は、大阪府東大阪市高井田元町にある神社。参拝すれば、御朱印を頂ける。

延喜式』巻9・10神名帳 畿内神 河内国 渋川郡「鴨高田神社」に比定される式内社(小社)。近代社格では郷社。

創建は飛鳥時代の白鳳2年(673年)と伝えられる。当地に居住した鴨氏がその祖神を祀ったのに始まる。

御祭神は建速須佐之男命(素戔鳴命)と、素戔鳴命十一世孫で、鴨氏の祖である大鴨積命(大賀茂都美命)。

大賀茂都美命は、『新撰姓氏録』大和国神別に「賀茂朝臣 大神朝新同祖。大国主神之後也。大田田禰古命孫大賀茂都美」とある。

社記によれば、延喜18年(918年)、当地方が大洪水に見舞われ、五穀が実らず、当社に祈願したところ、豊作となったと伝わる。

保元3年(1158年)宣旨に、石清水八幡宮領として河内国高井田庄の名が見え、『河内誌』には当社について「在高井田村今若江郡也山州八幡神祭料因称八幡宮」とある。

この頃に神功皇后応神天皇を合祀、八幡宮と呼ばれるようになったと考えられている。

江戸時代初期の元和元年(1615年)、大坂夏の陣にはこの付近が戦場となり、当社も兵火にかかり、社殿はことごとく烏有に帰したが、数年を経て再建された。

隣接している長栄寺とは関わりが深く、江戸時代の案内書『河内名所図会』には、「長栄寺の鎮守となり、今八幡と称される」とある。

江戸時代中期の安永年間(1772年-1781年)、悪疫が流行した際、時の神職久佐衛門は1月9日より10日間断食して悪疫祓除の祈祷を執行し、霊験があったとされる。

明治元年(1868年)の神仏分離後、明治5年(1872年)、郷社に列した。明治5年には西高井田八幡社・新喜多山科神社を合祀している。

現在の社殿は明治14年(1881年)の再建である。明治40年(1907年)1月に神饌幣帛料供進神社に指定され、高井田北ノ町八幡神社を合祀した。

昭和38年(1963年)7月18日未明、花火による失火のため、本殿檜皮葺き屋根が半焼、間もなく銅板で葺き替え、修理された。

平成7年(1995年)1月17日に起きた阪神淡路大震災で、拝殿が大きな被害を受けた。明治14年以来の大修理が行われ、耐火・耐震構造への補強が行われた。

例祭は10月17日で秋祭り。7月17日には夏祭りがある。

境内にはずらりと灯籠が並んでいる。一番手前の灯篭は享保13年(1728年)銘がある。

拝殿西側に、通称「お駒樟」と呼ばれる、樹齢1000年とされる気がある。今は枯死し、幹を少し残す程度。

昔、お駒狐が棲みついた、とか、お駒という女性がこの木に呪詛の釘を打ち込み、満願成就したとかの伝えがある。

境内末社に水神社、鴨稲荷社、鴨戎社がある。

【ご利益】
厄災除け、一族・子孫繁栄、諸願成就
鴨高田神社 大阪府東大阪市高井田元町
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鴨高田神社 大阪府東大阪市高井田元町の御朱印