『古事記』記載の狹山池より早く創祀、池の守護神を明治期に合祀
[住所]大阪府大阪狭山市半田1-223
[電話]072-365-0905
狭山神社(さやまじんじゃ)は、大阪府大阪狭山市半田にある神社。「大阪みどりの百選」に選定されている。参拝すれば、御朱印を頂ける。
『延喜式』巻9・10神名帳 畿内神 河内国 丹比郡「狭山神社」に比定される式内社(大社、月次新嘗)。近代社格では郷社。
第10代崇神天皇の勅願により、狭山池の築造以前に創建されたという伝承がある。
主祭神は天照皇大神・素盞鳴命、狭山連の祖神である臣狭山命と、その祖である天児屋根命を配祀する。
南北朝時代、当地は南北両軍の激戦地となり、たびたび兵火にかかった。現在の社殿は室町時代中期の明応2年(1493年)の再建と推定されている。
室町時代ごろから江戸時代までは「牛頭天王社」とも称していた。
明治5年(1872年)に郷社に列格し、明治40年(1907年)1月に神饌幣帛料供進社に指定された。
明治40年12月26日、字明神山にあった村社狭山堤神社を合祀した。当社と同じくやはり式内社(大社、月次新嘗)。印色入日子命(五十瓊敷入彦命)を祀る。
第11代垂仁天皇の皇子である印色入日子命は、『古事記』においても、「狹山(さやま)の池を作り」とあり、当地と極めて関係が深い。
狭山堤神社は『日本三代実録』によれば、貞観元年(859年)1月27日に従五位上の神階を授かった。現在は、当社拝殿の向って左側に鎮座する。
やはり明治40年には八雲神社(素盞嗚命)、明治42年(1909年)には村社狭間神社(稲田姫命・大山祇神)を合祀した。
境内摂社として、狭山堤神社の他、もとの村社狭間神社の摂社である戎神社(事代主大神)、もとの村社宇賀御魂神社である稲荷神社(宇賀御魂神)がある。
境内末社として、埴土社(埴安姫大神・大歳神)、岐社(伊弉諾命・塞神)、岳主社(大山祇神・猿田彦大神)、足玉社(大国主命・天児屋根命)、水本社(瀬織津姫命・高龗神)がある。
例祭は10月10日で、だんじり祭り。1月10日の戎祭には、一石二斗分のモチ撒きが行われ、多くの人がつめかけるという。初詣・お宮参り・七五三も盛ん。
当社が兼務している神社に、龍神社などがある。
【ご利益】
厄災除け、開運招福、事業成功
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狭山神社(さやまじんじゃ)は、大阪府大阪狭山市半田にある神社。「大阪みどりの百選」に選定されている。参拝すれば、御朱印を頂ける。
『延喜式』巻9・10神名帳 畿内神 河内国 丹比郡「狭山神社」に比定される式内社(大社、月次新嘗)。近代社格では郷社。
第10代崇神天皇の勅願により、狭山池の築造以前に創建されたという伝承がある。
主祭神は天照皇大神・素盞鳴命、狭山連の祖神である臣狭山命と、その祖である天児屋根命を配祀する。
南北朝時代、当地は南北両軍の激戦地となり、たびたび兵火にかかった。現在の社殿は室町時代中期の明応2年(1493年)の再建と推定されている。
室町時代ごろから江戸時代までは「牛頭天王社」とも称していた。
明治5年(1872年)に郷社に列格し、明治40年(1907年)1月に神饌幣帛料供進社に指定された。
明治40年12月26日、字明神山にあった村社狭山堤神社を合祀した。当社と同じくやはり式内社(大社、月次新嘗)。印色入日子命(五十瓊敷入彦命)を祀る。
第11代垂仁天皇の皇子である印色入日子命は、『古事記』においても、「狹山(さやま)の池を作り」とあり、当地と極めて関係が深い。
狭山堤神社は『日本三代実録』によれば、貞観元年(859年)1月27日に従五位上の神階を授かった。現在は、当社拝殿の向って左側に鎮座する。
やはり明治40年には八雲神社(素盞嗚命)、明治42年(1909年)には村社狭間神社(稲田姫命・大山祇神)を合祀した。
境内摂社として、狭山堤神社の他、もとの村社狭間神社の摂社である戎神社(事代主大神)、もとの村社宇賀御魂神社である稲荷神社(宇賀御魂神)がある。
境内末社として、埴土社(埴安姫大神・大歳神)、岐社(伊弉諾命・塞神)、岳主社(大山祇神・猿田彦大神)、足玉社(大国主命・天児屋根命)、水本社(瀬織津姫命・高龗神)がある。
例祭は10月10日で、だんじり祭り。1月10日の戎祭には、一石二斗分のモチ撒きが行われ、多くの人がつめかけるという。初詣・お宮参り・七五三も盛ん。
当社が兼務している神社に、龍神社などがある。
【ご利益】
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