藤原鎌足が乙巳の変の謀議を巡らした地、重要美術品の後漢期銅鏡
[住所]大阪府茨木市安威3-17-12
[電話]072-643-7778

阿為神社(あいじんじゃ)は、大阪府茨木市安威にある神社。苗森神社・苗森明神とも。参拝すれば、御朱印を頂ける。

延喜式』巻9・10神名帳 畿内神 摂津国 島下郡「阿爲神社」に比定される式内社(小社、鍬靫)。近代社格では郷社。

『新撰姓氏録摂津神別』に天児屋根命の十二世孫大江臣之後也とある中臣藍氏が祖神としての天児屋根命を祀ったのを起源とする。

「皇極3年(644年)鎌足三嶋に退く」とある、この三嶋(三島)の地であり、藤原鎌足ゆかりの神社である。当社は鎌足の勧請ともされる場合がある。

さらに、当社こそ、皇極天皇4年(645年)に蘇我蝦夷・入鹿父子を打倒した乙巳の変について、中大兄皇子と鎌足が謀議を巡らした場所ともされる。

鎌足の墳墓とされる将軍塚から出土した「三角縁二神二獣鏡」が、江戸時代中期の享保9年(1724年)5月に奉納され、現存する。国の重要美術品に指定されている。

後漢時代の銅鏡で、大和朝廷初期、魏から渡来したものとされる。白銅質、三角形の模様で縁取りされ、内区を大型の円で4分し、二神と二獣が描かれている。

明治5年(1872年)、村社に列し、明治40年(1907年)1月、神饌幣帛料供進社に指定され、同年4月5日に奉幣神社を合祀した。

明治41年(1908年)、式内社である幣久良神社(小社、鍬靫。応神天皇)を合祀した。もとは、幣久良山、現在の耳原1丁目、テイジン研究所内に鎮座していた。

現在は他に、宇賀御魂神菅原道真を併せて祀る。

例祭は5月5日。初祭りとして、毎年5月4日、神輿とふとん太鼓が安威・耳原地区を回り、当社から北に約1.5キロほどの地にある当社御旅所で休憩する。

1トンに達する神輿を担ぎながら、隣接する大念寺の階段を駆け上るのが最大のクライマックス。

平成17年(2005年)に本殿を新築、その落慶記念行事として「蹴鞠(けまり)」の神事が奉納された。

鎌足と中大兄皇子の出会いにおける蹴鞠の故事に端を発するもの。以降、毎年秋11月に「蹴鞠の会」が恒例行事となり、多くの見学者で賑わう。

境内社に、若宮八幡宮(仁徳天皇)、秋葉神社、出雲神社(速素盞鳴尊)、鹿島神社(武甕槌大神)、稲荷神社、大年神社(大歳大神)、菅原神社(菅原道真)、市杵島姫神社(市杵嶋姫命)、稲那神社(倉稲魂命)、金山神社(金毘羅神社。金山彦命)がある。

当社の狛犬は特徴的な顔立ちをしていることでも知られる。怒りの表情をしているが、目や鼻などは何となくユーモラスに造られている。

【ご利益】
事業成功、学業・受験合格、地域安全
阿為神社 大阪府茨木市安威
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