和気清麻呂の遠祖である垂仁皇子を奉斎、7月夏祭で大型の布団太鼓
[住所]大阪府柏原市大県4-6-1
[電話]0072-972-0016 - 柏原黒田神社
鐸比古鐸比賣神社(ぬでひこ ぬでひめじんじゃ、鐸比古鐸比売神社)は、大阪府柏原市大県にある神社。大県神社とも。御朱印は本務社である柏原黒田神社で頂ける。
『延喜式』巻9・10神名帳 畿内神 河内国 大県郡「鐸比古神社」「鐸比賣神社/鐸比売神社」に比定される式内社(小社)。近代社格では郷社。
河内国大県郡の柏原市平野、大県地区の氏神で、背後にそびえる標高278メートルの高尾山を御神体山・磐座としている。
神社縁起によると、創建は第13代成務天皇21年とされる。御祭神は鐸比古命・鐸比売命。
鐸比古命は第11代垂仁天皇の子で、「沼滞別命」「鐸石別命」などとも表記される。垂仁天皇の皇子に関する神社に、当社から南に1500メートルの所に天湯川田神社がある。
和気清麻呂の遠祖(清麻呂が十二世孫)であり、鐸比古命を御祭神とするのは日本全国でも当社と岡山県の和気神社のみとされている。
『河内名所図会』には、「鐸比古神社 (高尾神社・大県神社・高尾明神) 延喜式内、高尾山の嶺にあり、今比賣春日御前という。傍に清泉あり」と記されている。
もともとは鐸比古神社と鐸比賣神社は別々の神社で、鐸比古神社は高尾山の山頂に祀られていたが、中世には現在の地に遷されたといわれている。
明治末年には、近辺の式内社である若倭彦神社・若倭姫神社を合祀した。この両社は、戦後に独立、復社している。
現在の社殿は江戸時代前期の元禄年間(1688年-1704年)の再建。
例祭は10月15日。夏祭が7月30日・31日で、大型の布団太鼓が当社の急な石段を上り下りして、大迫力。多くの観光客で賑わう。
【ご利益】
一族・子孫繁栄、家内安全
【関連記事】
・大阪府の神社 - 本サイトに掲載されている神社で、大阪府に鎮座している神社の一覧
[電話]0072-972-0016 - 柏原黒田神社
鐸比古鐸比賣神社(ぬでひこ ぬでひめじんじゃ、鐸比古鐸比売神社)は、大阪府柏原市大県にある神社。大県神社とも。御朱印は本務社である柏原黒田神社で頂ける。
『延喜式』巻9・10神名帳 畿内神 河内国 大県郡「鐸比古神社」「鐸比賣神社/鐸比売神社」に比定される式内社(小社)。近代社格では郷社。
河内国大県郡の柏原市平野、大県地区の氏神で、背後にそびえる標高278メートルの高尾山を御神体山・磐座としている。
神社縁起によると、創建は第13代成務天皇21年とされる。御祭神は鐸比古命・鐸比売命。
鐸比古命は第11代垂仁天皇の子で、「沼滞別命」「鐸石別命」などとも表記される。垂仁天皇の皇子に関する神社に、当社から南に1500メートルの所に天湯川田神社がある。
和気清麻呂の遠祖(清麻呂が十二世孫)であり、鐸比古命を御祭神とするのは日本全国でも当社と岡山県の和気神社のみとされている。
『河内名所図会』には、「鐸比古神社 (高尾神社・大県神社・高尾明神) 延喜式内、高尾山の嶺にあり、今比賣春日御前という。傍に清泉あり」と記されている。
もともとは鐸比古神社と鐸比賣神社は別々の神社で、鐸比古神社は高尾山の山頂に祀られていたが、中世には現在の地に遷されたといわれている。
明治末年には、近辺の式内社である若倭彦神社・若倭姫神社を合祀した。この両社は、戦後に独立、復社している。
現在の社殿は江戸時代前期の元禄年間(1688年-1704年)の再建。
例祭は10月15日。夏祭が7月30日・31日で、大型の布団太鼓が当社の急な石段を上り下りして、大迫力。多くの観光客で賑わう。
【ご利益】
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