崇神朝の創祀、出雲の神剣、河内国二宮とも、10月にだんじり宮入
[住所]大阪府富田林市宮町3-2053
[電話]0721-23-3007
美具久留御魂神社(みぐくるみたまじんじゃ)は、大阪府富田林市宮町にある神社。参拝すれば、御朱印を頂ける。
『延喜式』巻9・10神名帳 畿内神 河内国 石川郡「美具久留御玉神社」に比定される式内社(小社)。近代社格では府社。
社伝によれば、第10代崇神天皇10年、この地にしばしば大蛇が出没したので、天皇自ら視察して、「これは大国主命の荒御魂によるものである」として、大国主命を祀らせたのに始まるという。
崇神天皇62年、丹波国氷上郡の氷香戸辺が神懸かりして、下記のように宣託した。
左殿に天水分神、弥都波迺売命、右殿に国水分神、須勢理比売命の四神。この相殿神が、後述の水分社の由来となる。
神宝として、生太刀・生弓矢が伝わる。社殿によれば、生太刀は、『日本書紀』の出雲振根と弟の飯入根の話で出てくる神剣。
本殿の背後の真名井ヶ原の丘陵には宮裏山古墳がある。古来、神奈備山と呼ばれる御神体山である。「大阪みどりの百選」に選定されている。
この御神体山は極相状態に近い広葉樹林で、シイ・アラカシ・サカキなど貴重な樹林である。山頂付近には四基の古墳がある。
朝廷から厚く崇敬を受け、平安時代の嘉祥3年(850年)には従五位上の神階が授けられ、河内国二宮、石川郡総社とも称された。
河内国二宮とされるものは他に、八尾市恩智中町の恩智神社がある。
南北朝時代、楠木正成は、建水分神社を上水分社として、当社を下水分社に位置付け、楠木氏の氏神として崇敬し、社領の寄進や社殿造営を行った。
なお、恩智神社を下水分社とする場合もある。その際は当社は中水分社となる。和爾池の西に鎮座したため、和爾社とも呼ばれた。
安土桃山時代の天正13年(1585年)、豊臣秀吉の根来寺攻めの兵火により社殿を焼失し、江戸時代に入り、万治3年(1660年)に社殿が再建された。
例祭は10月17日。現在は10月第3金曜日。秋祭りで、この週末に、地車(だんじり)が宮入りし、奉納される。いわゆる南河内だんじり祭りの一つ。
境内社に、熊野貴平神社があり、熊野神社(伊邪那美神・須佐之男神)と貴平神社(須佐之男命・大国主命・青箭高鈴彦命)を祀る。
他に、南木神社(楠木正成・楠木正虎)、別名を支子大神宮とも、河内大神宮ともされる皇大神社(天照皇大神・大物主神・事代主神)がある。
また、郡天神社(菅原道真・事代主命・大国主命)、青箭宮、白雲宮、愛宕神社、大伴神社(大伴黒主)、紫天神社、富榮神社、旭岡神社、稻荷神社がある。
さらに、利雁神社(保食神・八幡大神・天児屋根命)があるが、これはやはり式内社。明治40年(1907年)に当社境内に遷座。その後、旧地に同名の神社が再建された。
また、大伴神社も明治期の合祀で、現在は山中田町に復社している。
【ご利益】
五穀豊穣、縁結び、夫婦和合、家内安全
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[電話]0721-23-3007
美具久留御魂神社(みぐくるみたまじんじゃ)は、大阪府富田林市宮町にある神社。参拝すれば、御朱印を頂ける。
『延喜式』巻9・10神名帳 畿内神 河内国 石川郡「美具久留御玉神社」に比定される式内社(小社)。近代社格では府社。
社伝によれば、第10代崇神天皇10年、この地にしばしば大蛇が出没したので、天皇自ら視察して、「これは大国主命の荒御魂によるものである」として、大国主命を祀らせたのに始まるという。
崇神天皇62年、丹波国氷上郡の氷香戸辺が神懸かりして、下記のように宣託した。
玉萎鎮石(たまものしずし)。大意は、下記の通り。それでも意味が不鮮明で、この宣託の解釈には諸説ある。
出雲人祭(いずもひとのいのりまつる)
真種之甘美鏡(またねのうましかがみ)。
押羽振甘美御神(おしはふるうましみかみ)
底宝御宝主(そこたからみたからぬし)。
山河之水泳御魂(やまがわのみくくるみたま)
静挂甘美御神(しずかかるうましみかみ)。
底宝御宝主也(そこたからみたからぬしなり)
玉のような水草の中に沈んでいる石。出雲の人の祈り祭る、本物の見事な鏡。力強く活力を振るう立派な御神の鏡、水底の宝、宝の主。山河の水の洗う御魂。沈んで掛かっている立派な御神の鏡、水底の宝、宝の主ともかく、天皇はただちに皇太子の活目入彦命(後の第11代垂仁天皇)を当社に遣わして祀り、「美具久留御魂」の名を贈り、相殿に四神を配祀した。
左殿に天水分神、弥都波迺売命、右殿に国水分神、須勢理比売命の四神。この相殿神が、後述の水分社の由来となる。
神宝として、生太刀・生弓矢が伝わる。社殿によれば、生太刀は、『日本書紀』の出雲振根と弟の飯入根の話で出てくる神剣。
本殿の背後の真名井ヶ原の丘陵には宮裏山古墳がある。古来、神奈備山と呼ばれる御神体山である。「大阪みどりの百選」に選定されている。
この御神体山は極相状態に近い広葉樹林で、シイ・アラカシ・サカキなど貴重な樹林である。山頂付近には四基の古墳がある。
朝廷から厚く崇敬を受け、平安時代の嘉祥3年(850年)には従五位上の神階が授けられ、河内国二宮、石川郡総社とも称された。
河内国二宮とされるものは他に、八尾市恩智中町の恩智神社がある。
南北朝時代、楠木正成は、建水分神社を上水分社として、当社を下水分社に位置付け、楠木氏の氏神として崇敬し、社領の寄進や社殿造営を行った。
なお、恩智神社を下水分社とする場合もある。その際は当社は中水分社となる。和爾池の西に鎮座したため、和爾社とも呼ばれた。
安土桃山時代の天正13年(1585年)、豊臣秀吉の根来寺攻めの兵火により社殿を焼失し、江戸時代に入り、万治3年(1660年)に社殿が再建された。
例祭は10月17日。現在は10月第3金曜日。秋祭りで、この週末に、地車(だんじり)が宮入りし、奉納される。いわゆる南河内だんじり祭りの一つ。
境内社に、熊野貴平神社があり、熊野神社(伊邪那美神・須佐之男神)と貴平神社(須佐之男命・大国主命・青箭高鈴彦命)を祀る。
他に、南木神社(楠木正成・楠木正虎)、別名を支子大神宮とも、河内大神宮ともされる皇大神社(天照皇大神・大物主神・事代主神)がある。
また、郡天神社(菅原道真・事代主命・大国主命)、青箭宮、白雲宮、愛宕神社、大伴神社(大伴黒主)、紫天神社、富榮神社、旭岡神社、稻荷神社がある。
さらに、利雁神社(保食神・八幡大神・天児屋根命)があるが、これはやはり式内社。明治40年(1907年)に当社境内に遷座。その後、旧地に同名の神社が再建された。
また、大伴神社も明治期の合祀で、現在は山中田町に復社している。
【ご利益】
五穀豊穣、縁結び、夫婦和合、家内安全
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