湖だった丹波地方の開拓、保津峡の開削を「うけた」神、10月に火祭り
[住所]京都府亀岡市保津町立岩4
[電話]-
請田神社(うけたじんじゃ)は、京都府亀岡市保津町立岩にある神社。御朱印の有無は不明。
『延喜式神名帳』丹波国桑田郡の「石穂神社」に比定される式内社(小社)で、やはり式内社「松尾神社」の論社でもある。
亀岡市東部、保津峡入り口の「大堰川」から「保津川」に名が変わる地に鎮座し、川向いには桑田神社が鎮座する。
その桑田神社とともに保津峡開削の伝承に関連する神社である。御祭神は、大山咋神・市杵島姫命(狭依姫命)。
御祭神の大山咋神は、湖であった丹波地方の開拓のために出雲地方から来た神といわれ、桑田神社から保津峡の開削を始めたと伝える。
この開拓着工の鍬入れを受けたので、社名を「うけた」というようになったという。亀岡盆地が湖だったということに関する伝承は、下記の周辺各地に残る。
市内千歳町千歳の出雲大神宮、東別院町神原の徳神社、上矢田町の鍬山神社、大井町の大井神社、大阪府高槻市田能の樫船神社、所在不明の餅籠神社など。
社伝によれば、奈良時代の和銅2年(709年)に創建されたという。社地名が「岩尾」だったため、式内社「石穂神社」とされる。式内社「松尾神社」とする説の根拠は不明。
戦国時代の永禄年間(1558年-1570年)に兵火により社殿・文献が焼失した。その後、宮ノ上(現 保津八幡宮)に遷座。
江戸時代になり、寛永年間(1624年-1645年)に現在地に戻ったが、宮ノ上では現在も頓宮として御分霊が祀られている。
近世、保津峡は「浮田峡」と呼ばれており、対岸の桑田神社とともに浮田神社とも称していたという。
例祭は10月21日で秋大祭。「保津の火祭り」とも呼ばれる。前日の宵宮祭に始まる。本宮たる当社から保津八幡宮内の頓宮に御神霊を迎える。
境内末社に、本殿脇に鎮座する稲荷社がある。なお、式内社「松尾神社」の論社は他に、市内旭町今峠に式内と同名の神社がある。
【ご利益】
地域安全、事業成功、土木事業
【関連記事】
・亀岡盆地が太古は湖だった伝承を残す神社とは? - 口丹波、出雲・大国主命の国造り
・京都府の神社 - 本サイトに掲載されている神社で、京都府に鎮座している神社の一覧
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請田神社(うけたじんじゃ)は、京都府亀岡市保津町立岩にある神社。御朱印の有無は不明。
『延喜式神名帳』丹波国桑田郡の「石穂神社」に比定される式内社(小社)で、やはり式内社「松尾神社」の論社でもある。
亀岡市東部、保津峡入り口の「大堰川」から「保津川」に名が変わる地に鎮座し、川向いには桑田神社が鎮座する。
その桑田神社とともに保津峡開削の伝承に関連する神社である。御祭神は、大山咋神・市杵島姫命(狭依姫命)。
御祭神の大山咋神は、湖であった丹波地方の開拓のために出雲地方から来た神といわれ、桑田神社から保津峡の開削を始めたと伝える。
この開拓着工の鍬入れを受けたので、社名を「うけた」というようになったという。亀岡盆地が湖だったということに関する伝承は、下記の周辺各地に残る。
市内千歳町千歳の出雲大神宮、東別院町神原の徳神社、上矢田町の鍬山神社、大井町の大井神社、大阪府高槻市田能の樫船神社、所在不明の餅籠神社など。
社伝によれば、奈良時代の和銅2年(709年)に創建されたという。社地名が「岩尾」だったため、式内社「石穂神社」とされる。式内社「松尾神社」とする説の根拠は不明。
戦国時代の永禄年間(1558年-1570年)に兵火により社殿・文献が焼失した。その後、宮ノ上(現 保津八幡宮)に遷座。
江戸時代になり、寛永年間(1624年-1645年)に現在地に戻ったが、宮ノ上では現在も頓宮として御分霊が祀られている。
近世、保津峡は「浮田峡」と呼ばれており、対岸の桑田神社とともに浮田神社とも称していたという。
例祭は10月21日で秋大祭。「保津の火祭り」とも呼ばれる。前日の宵宮祭に始まる。本宮たる当社から保津八幡宮内の頓宮に御神霊を迎える。
境内末社に、本殿脇に鎮座する稲荷社がある。なお、式内社「松尾神社」の論社は他に、市内旭町今峠に式内と同名の神社がある。
【ご利益】
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