『小倉百人一首』「いく野」の地、御幣神社とも、10月の秋祭りが有名
[住所]京都府福知山市字三俣541
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生野神社(いくのじんじゃ)は、京都府福知山市三俣にある神社。『延喜式神名帳』にある「生野神社(丹波国・天田郡)」に比定される式内社(小社)。近代社格では村社。御朱印の有無は不明。
『小倉百人一首』の中でも有名な一首、小式部内侍の下記の歌の「いく野」(生野)の集落内にある。
その旧社地には、雄岩(おいわ)・雌岩(めいわ)と称する男女の象徴をあらわすような二つの岩があるという。
鎮座地の東の集落に雲田という地があり、御祭神が天降った古跡と伝わる。天降った時には、紅簾の牛に乗って、座って来たという。
生野庄は、六部郷(むとべごう)の六人部村に属し、六人部村の西にある杉山山上には数基の古墳があるとされる。
鎌倉時代以降、御幣神社(みてぐらじんじゃ)と呼ばれていたという。通称は「みてぐらはん」。
綾部藩主九鬼氏が生野に倉庫を建て上納米を取立て、毎年当社へ御供米を奉献していたことによる名称だという。
綾部藩はもちろん江戸時代以降のことなので、それ以前から御幣神社と呼ばれていたのであれば、別の理由があるとも考えられる。
また、倉庫による命名であれば、読みはよいが、表記は「御倉」などになりそうだが。
江戸時代、慶長年間(1596年-1615年)に社殿の改築があり、元禄年間(1688年-1704年)に神祇管領より正一位を授けられた。
参勤交代には、当地方の領主綾部藩の九鬼氏をはじめ、福知山・舞鶴・宮津・峰山・豊岡・和田山などの大名の行列が通るたびに当社に安全祈願したという。
これは御祭神が、瓊々杵尊の天孫降臨に際して、猿田彦神を懐柔し、それを見事乗り切ったために、旅行安全の神として当社が信仰されていたことによるという。
明治6年(1873年)、現社号に改称、昭和4年(1929年)に拝殿を改築、昭和8年(1933年)、社務所を新築した。
例祭は、4月11日が春季大祭で、子供相撲や、剣道 大会が奉納される。秋季大祭が10月10日。秋季大祭は現在、10月第2日曜日。
この秋祭りでは、重量1125キロに達する金色燦然たる神輿や、子供樽御神輿、御幣太鼓3基が綾部藩奉納の武具行列とともに、勇壮な奴毛槍道中が繰り広げられる。
三俣・池田・堀越・正後寺・坂室の全氏子地域を神輿が巡行し、各区の御旅所で休憩する。
江戸時代中期には、下六人部学区の多保市の西和田ノ前というところに6メートル四方位の岩塚があり、その附近が、中六人部学区の一宮神社の神輿と、当社神輿の立会祭礼の御旅所だったと伝わる。
社殿に向かって右側にケヤキの巨樹がそびえる。幹周5.33メートル、樹高19.0メートル。市の名木にも選定されている。
境内社に、猿田彦社、稲荷社・武大神、皇太神宮、神明社、八幡社、大原社、西宮社がある。
【ご利益】
地域振興、家内安全、技芸・スポーツ上達、旅行・交通安全

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生野神社(いくのじんじゃ)は、京都府福知山市三俣にある神社。『延喜式神名帳』にある「生野神社(丹波国・天田郡)」に比定される式内社(小社)。近代社格では村社。御朱印の有無は不明。
『小倉百人一首』の中でも有名な一首、小式部内侍の下記の歌の「いく野」(生野)の集落内にある。
大江山 いく野の道の 遠ければ まだ文も見ず 天のはし立当社の創建年代や由緒は不詳。御祭神は天鈿女命。もとは、現社地の裏の山の山頂に鎮座していたという。
その旧社地には、雄岩(おいわ)・雌岩(めいわ)と称する男女の象徴をあらわすような二つの岩があるという。
鎮座地の東の集落に雲田という地があり、御祭神が天降った古跡と伝わる。天降った時には、紅簾の牛に乗って、座って来たという。
生野庄は、六部郷(むとべごう)の六人部村に属し、六人部村の西にある杉山山上には数基の古墳があるとされる。
鎌倉時代以降、御幣神社(みてぐらじんじゃ)と呼ばれていたという。通称は「みてぐらはん」。
綾部藩主九鬼氏が生野に倉庫を建て上納米を取立て、毎年当社へ御供米を奉献していたことによる名称だという。
綾部藩はもちろん江戸時代以降のことなので、それ以前から御幣神社と呼ばれていたのであれば、別の理由があるとも考えられる。
また、倉庫による命名であれば、読みはよいが、表記は「御倉」などになりそうだが。
江戸時代、慶長年間(1596年-1615年)に社殿の改築があり、元禄年間(1688年-1704年)に神祇管領より正一位を授けられた。
参勤交代には、当地方の領主綾部藩の九鬼氏をはじめ、福知山・舞鶴・宮津・峰山・豊岡・和田山などの大名の行列が通るたびに当社に安全祈願したという。
これは御祭神が、瓊々杵尊の天孫降臨に際して、猿田彦神を懐柔し、それを見事乗り切ったために、旅行安全の神として当社が信仰されていたことによるという。
明治6年(1873年)、現社号に改称、昭和4年(1929年)に拝殿を改築、昭和8年(1933年)、社務所を新築した。
例祭は、4月11日が春季大祭で、子供相撲や、剣道 大会が奉納される。秋季大祭が10月10日。秋季大祭は現在、10月第2日曜日。
この秋祭りでは、重量1125キロに達する金色燦然たる神輿や、子供樽御神輿、御幣太鼓3基が綾部藩奉納の武具行列とともに、勇壮な奴毛槍道中が繰り広げられる。
三俣・池田・堀越・正後寺・坂室の全氏子地域を神輿が巡行し、各区の御旅所で休憩する。
江戸時代中期には、下六人部学区の多保市の西和田ノ前というところに6メートル四方位の岩塚があり、その附近が、中六人部学区の一宮神社の神輿と、当社神輿の立会祭礼の御旅所だったと伝わる。
社殿に向かって右側にケヤキの巨樹がそびえる。幹周5.33メートル、樹高19.0メートル。市の名木にも選定されている。
境内社に、猿田彦社、稲荷社・武大神、皇太神宮、神明社、八幡社、大原社、西宮社がある。
【ご利益】
地域振興、家内安全、技芸・スポーツ上達、旅行・交通安全

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