酒の神、鎌倉期の特徴残す桃山期作の春日造り本殿、10月に神輿渡御
[住所]京都府京田辺市宮津佐牙垣内164
[電話]0774-62-9044

佐牙神社(さがじんじゃ)は、京都府京田辺市宮津佐牙垣内にある神社。御朱印の有無は不明。

延喜式』巻9・10神名帳 畿内神 山城国 綴喜郡「佐牙乃神社」に比定される式内社(小社)。

第30代敏達天皇2年(573年)、佐賀弥豆男神・佐賀弥豆女神を咋岡の山本に奉斎したと伝わる。山本の地は遠藤川の北側府道より少し東。

『日本三代実録』貞観13年(870年)には「綴喜郡山本郷山朋陥」という記事があり、天変地異の地を祀ったものともされる。

造酒司の奉弊があったとされ、御祭神は酒弥豆男神・酒弥豆女神のことで、「佐牙」「佐賀」も酒を指し、酒造の神として崇敬されたという。

現在は、北殿(右殿)に佐賀弥豆男神(佐牙弥豆男神)、南殿(左殿)に佐賀弥豆女神(佐牙弥豆女神)を祀る。

『延喜式』神名帳尾張国中島郡の「酒見神社」、但馬国城崎郡の「酒垂神社」、また宮中坐神 造酒司坐神酒殿神社二座」などと同一神とも考えられる。

なお、当社伝には、当社の創建の他、京田辺市の酒屋神社についても記載され、当社との深い関係をうかがわせる。

『新抄格勅符抄』には佐牙神として摂津に九戸と記されているが、摂津には佐牙神は見当たらず、当社のことともされる。

延暦13年(794年)、現在地に遷座、創建されたという、大同元年(806年)には神領が寄進された。

この附近は往古、佐牙野と呼ばれ、筒城野の東、南は裾野川(煤谷川)、北は朱智川辺までの名称とされる。当社は東朱智社とも呼ばれた。

佐牙垣内(さがかいと)には江津の地名があり、『古事記』第9代開化天皇の段に山代之荏名津比売の名が出ており、この荏名津は旧名江の津、今の江津と推定されている。

戦国時代の永正6年(1509年)12月6日、菱田監物と森村信濃守による土地争論で兵火にかかり、永正11年(1514年)8月、山本主馬介義古一族などによって再建された。

しかし、天正4年(1576年)10月20日、火災によって焼失。天正13年(1585年)9月13日、新築して、遷宮式が執行された。

これが現在の本殿で、左右二殿からなり、ともに一間社春日造り桧皮葺。ただし、向拝は江戸時代中期の天明6年(1786年)の後補である。

安土桃山時代の特徴が残り、身舎の蟇股は左右対称の意匠で、鎌倉時代後期から室町時代初期の作とみられ、旧建物の再利用と推定される。国の重要文化財に指定されている。

江戸時代には、天神宮・吉田明神と称された。また、若松明神も祀られていたという。明治になり、神宮寺の恵日寺が廃寺となった。

例祭は10月体育の日。その前々日が宵宮祭で、前日が神幸祭。旧社地の山本の御旅所へ神輿渡御がある。体育の日当日が還幸祭。

末社は二社、北殿右に蛭子神社(事代主神)、南殿左に太神宮(天照皇太神)を祀っている。

【ご利益】
酒造の神、五穀豊穣、地域安全、地域振興
佐牙神社 京都府京田辺市宮津佐牙垣内
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