ブサイクとして垂仁天皇に追い返された姫が首を吊った地、八幡宮
[住所]京都府木津川市相楽清水1
[電話]0774-72-8470

相楽神社(さがなかじんじゃ)は、京都府木津川市相楽清水1にある神社。参拝すれば、御朱印を頂ける。

延喜式』巻9・10神名帳 畿内神 山城国 相楽郡「相樂神社」に比定される式内社(小社)。近代社格では村社。

普通は「さがら」かもしれないが、長い間、この地方は相楽郡(そうらくぐん)と呼ばれていた。

『延喜式』神名帳には、当社の読みについて、「サカラカノ」「サカラノ」が記載されている。

これが転じて、現在は「さがなか」と読むようになったと考えられる。

この「相楽」という地名は、『古事記』にその由緒がみられる。第11代垂仁天皇の御代、4人の姉妹が、垂仁天皇に輿入れした。

その中の一人、円野比売命がブサイクだったため、垂仁天皇は実家に戻すことにした。それにショックを受けた姫が帰途に首を吊った。

その地が「懸木(さがりき)」と呼ばれるようになり、これが現在の相楽になった。

当社には末社として、この姫を祀る島懸神社(島縣神社は誤記とも)が境内社としてある。

当社は歌姫街道口に鎮座し、京・奈良を結ぶ街道の入口、その基地として栄えたようだ。

歌姫街道の名は、当時の雅楽寮から由来しているとされるが、この悲しい姫の故事を根源としているのかもしれない。

当社の細かい創建・由緒は伝わっていない。古くからの旧相楽村(さがなかむら)、つまり北ノ庄・大里・曽根山の三区の産土神だった。

明治10年(1877年)、式内社に認定された。御祭神は、誉田別命足仲彦命気長足姫命の八幡神で、それまでは八幡神社・八幡宮と呼ばれていた。

奈良時代に、宇佐八幡宮を勧請したとも伝わる。平安時代から鎌倉時代にかけての古瓦や祭祀用土器の破片などが境内から検出されている。

本殿は室町時代初期の造営で、現在の国の重要文化財に指定されている。末社の若宮神社(仁徳天皇)本殿も室町後期の造営で、府登録文化財。

当社の森一帯は文化財環境保全地区に指定され、社務所横にある欅(ケヤキ)の御神木は「京都の自然200選」に選定されている。

正月行事一連が府の無形民俗文化財に指定されており、毎年地元内外から多くの見物客で賑わう。

年頭の宮座行事が古風のままに残り、1月の「豆焼き」「粥占」「御田」に続き、2月の餠花まつりでは、竹串に数重の餠を刺した餠花が奉納される。

餠花の大きさは全国でも類をみないほど大きなもので、その大きな餠花がいっぱいに飾られた様子が見事とされる。

先の円野姫命を祀る島懸神社の他に、末社として、同じ時期に輿入れした姉で、後の垂仁皇后となった比波須姫命を祀る松枝神社がある。

また、やはり姉妹である歌凝姫命を祀る清水谷神社がある。この姫も円野姫命と同様、ブサイクとして垂仁天皇に追い返された。

円野姫命のような自殺(未遂)などの逸話は残っていないが、先の「歌姫街道」の名の由来とも深く関係している可能性がある。

子守神社では、茅比売命を祀るが、『古事記』に記載のある4姉妹最後の一人は弟比売命で、同一神か。

他に、豊八稲荷社もある。なお、飛地境内として、近鐵山田川駅西北方に白山神社がある。

【ご利益】
厄災除け、安産、諸願成就、美人・美顔
相楽神社 京都府木津川市相楽清水
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