椏本八幡宮、大クスノキと室町期の本殿、お粥炊の神事や八朔祭り
[住所]京都府久世郡久御山町佐山双栗55
[電話]0774-43-2622
雙栗神社(さぐりじんじゃ)は、京都府久世郡久御山町佐山双栗にある神社。御朱印の有無は不明。
『延喜式』巻9・10神名帳 畿内神 山城国 久世郡「双栗神社三座」に比定される式内社(小社)。
創祀年代は不詳。御祭神は天照大御神・須佐之男命・事代主神。『日本三代実録』によれば、平安時代の貞観元年(859年)、従五位下の神位を授けられた。
椏本八幡宮(あてもとはちまんぐう)とも呼ばれる。応神天皇・神功皇后・比大神・仁徳天皇が御祭神。
平安時代末期の天治2年(1125年)、大きな椏(あて)の木の根元に八幡宮を勧請したことによる。
仁平2年(1152年)、如一上人は八幡宮神輿の御正体を造り、以来、久御山町飛地で、宇治田原町三郷山の御旅所への御幸が始まったという。
第78代二条天皇(在位:1158年-1165年)の時、勅願所に定められ、応保2年(1162年)、当宮に勅使が立てられ、 勲一等を受ける。
その際、神田が下賜され、椏本一品八幡大菩薩と号し、橘氏が神司と定められたという。
中世から近世にかけて、石清水八幡宮の影響下に入り、八幡宮領になった。以降、椏本八幡宮が当社号として定着した。
戦国時代の明応3年(1494年)、現在の本殿が葺き替えられ、永禄3年(1560年)、足利義輝が禁制の下知状を下付した。
この本殿が現存し、現在は国の重要文化財に指定されている。三間社流造、本殿の斗供間には向かって左に「花と鳥」右に「紅葉と鹿」を彫刻した蟇股がある。
江戸時代になり、水害により流出した市田・珠城神社の御祭神である活目入彦五十狭茅命、和気清麻呂を合祀した。
寛永7年(1630年)、淀城城主松平定綱より神田、叢林が寄進された。元禄15年(1702年)、東山天皇が勅額を下賜。
近代以前まで、五つの神宮寺があった。佐山に安楽寺、西方寺、浄福寺、山福寺、久御山町林に薬蓮寺。明治になり、廃仏毀釈により廃絶した。
明治15年(1882年)、現社号に復した。例祭は10月8日で秋祭り。1月15日にはお粥炊の神事がある。
大釜に米3合、小豆3合の割合で粥を入れ、竹管を中に入れ、札は釜より出す。神事の後、炊き上げる。
竹管内の粥の詰まり具合により、その年の穀物の豊凶を占う。竹管一杯に粥が入っていれば十分といい、豊作になるとされた。
8月31日には八朔祭りがある。当日は出店が並び、境内は賑わう。
御神木のクスノキの巨木は、本殿北にあり、根元に稲荷社の祠がある。樹高30メートル、目通り幹回り5.35メートル、樹齢400-500年。京都の自然200選・町の天然記念物。
他にも数本のクスノキの巨木がある。他に、色鮮やかな赤い花を咲かせるヤブツバキが多く、開花の時期には境内が華やかに彩られる。
【ご利益】
開運招福、厄除け、商売繁盛、安産

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[電話]0774-43-2622
雙栗神社(さぐりじんじゃ)は、京都府久世郡久御山町佐山双栗にある神社。御朱印の有無は不明。
『延喜式』巻9・10神名帳 畿内神 山城国 久世郡「双栗神社三座」に比定される式内社(小社)。
創祀年代は不詳。御祭神は天照大御神・須佐之男命・事代主神。『日本三代実録』によれば、平安時代の貞観元年(859年)、従五位下の神位を授けられた。
椏本八幡宮(あてもとはちまんぐう)とも呼ばれる。応神天皇・神功皇后・比大神・仁徳天皇が御祭神。
平安時代末期の天治2年(1125年)、大きな椏(あて)の木の根元に八幡宮を勧請したことによる。
仁平2年(1152年)、如一上人は八幡宮神輿の御正体を造り、以来、久御山町飛地で、宇治田原町三郷山の御旅所への御幸が始まったという。
第78代二条天皇(在位:1158年-1165年)の時、勅願所に定められ、応保2年(1162年)、当宮に勅使が立てられ、 勲一等を受ける。
その際、神田が下賜され、椏本一品八幡大菩薩と号し、橘氏が神司と定められたという。
中世から近世にかけて、石清水八幡宮の影響下に入り、八幡宮領になった。以降、椏本八幡宮が当社号として定着した。
戦国時代の明応3年(1494年)、現在の本殿が葺き替えられ、永禄3年(1560年)、足利義輝が禁制の下知状を下付した。
この本殿が現存し、現在は国の重要文化財に指定されている。三間社流造、本殿の斗供間には向かって左に「花と鳥」右に「紅葉と鹿」を彫刻した蟇股がある。
江戸時代になり、水害により流出した市田・珠城神社の御祭神である活目入彦五十狭茅命、和気清麻呂を合祀した。
寛永7年(1630年)、淀城城主松平定綱より神田、叢林が寄進された。元禄15年(1702年)、東山天皇が勅額を下賜。
近代以前まで、五つの神宮寺があった。佐山に安楽寺、西方寺、浄福寺、山福寺、久御山町林に薬蓮寺。明治になり、廃仏毀釈により廃絶した。
明治15年(1882年)、現社号に復した。例祭は10月8日で秋祭り。1月15日にはお粥炊の神事がある。
大釜に米3合、小豆3合の割合で粥を入れ、竹管を中に入れ、札は釜より出す。神事の後、炊き上げる。
竹管内の粥の詰まり具合により、その年の穀物の豊凶を占う。竹管一杯に粥が入っていれば十分といい、豊作になるとされた。
8月31日には八朔祭りがある。当日は出店が並び、境内は賑わう。
御神木のクスノキの巨木は、本殿北にあり、根元に稲荷社の祠がある。樹高30メートル、目通り幹回り5.35メートル、樹齢400-500年。京都の自然200選・町の天然記念物。
他にも数本のクスノキの巨木がある。他に、色鮮やかな赤い花を咲かせるヤブツバキが多く、開花の時期には境内が華やかに彩られる。
【ご利益】
開運招福、厄除け、商売繁盛、安産

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