『延喜式神名帳』筆頭、雄略朝の創建、鎌足が再建、道真も参拝
[住所]京都府京都市伏見区羽束師志水町219-1
[電話]075-921-5991

羽束師坐高御産日神社(はづかしにますたかみむすびじんじゃ)は、京都府京都市伏見区羽束師志水町にある神社。羽束師神社・羽束師社・羽束石社とも。参拝すれば、御朱印を頂ける。

延喜式』巻9・10神名帳 畿内神 山城国 乙訓郡「羽束師坐高御産日神社」に比定される式内社(大社、月次・新嘗)。

鴨川と桂川の合流点の西に鎮座する。477年に創建されたという。一般的には第21代雄略天皇20年となる。御祭神は、高御産日神神御産日神

飛鳥時代の第29代欽明天皇28年(567年)、封戸を下賜され、天智天皇4年(665年)、中臣鎌足(藤原鎌足)が勅により再建したという。

これに関しては逸話が残る。桂川が氾濫し、洪水になったにもかかわらず、当社が水につかることはなかったという。その神威によって、帝より神封を賜ったという。

ちなみに、桂川の氾濫と洪水については、対岸でこれより1000年後の安土桃山時代、田中神社が奇跡を起こしている。

さらに現代、平成25年(2013年)9月の台風18号でも、桂川で洪水が発生したが、当社はやはり水に浸かることはなかったという。

『続日本紀』には、大宝元年(701年)、「波都賀志神等ノ神稲。自今以後給中臣氏」とある。

平安時代になり、大同3年(808年)、斎部広成が天照皇大御神など摂社11社を勧請した。貞観元年(859年)、羽束志神の名が見え、「遣使奉幣、為風雨祈焉」とある。

昌泰4年(901年)、菅原道真は筑紫への左遷の際に当社を参詣。下記の歌を詠んだという。境内には、北向見返天満宮がある。
捨てられて 思ふおもひの しげるをや 身をはづかしの 社といふらん
現在、扁額や社標に「式内第一」とみえる。これは、『延喜式』神名帳山城国の中で筆頭に掲げられ、山城国の前は、宮中・京中のみで、いわば別格。

そう考えれば、『延喜式』神名帳の第一の神社といえなくもない。神名帳の他に、『延喜式』巻3「臨時祭」祈雨神祭条に「羽束石社一座」とあり、祈雨神祭85座に含まれる。

以降の資料は少ないが、地域の産土神として崇敬を集めた。欽明朝の逸話により、風水害除けの神としても信仰を集めた。古くは、遣隋使・遣唐使など渡航の際には、風雨の災難除けに参詣したという。

江戸時代後期、当社神主である古川為猛が、私財を投じ人工水路の羽束師川を開削した。古川為猛は当社由緒『羽束師社旧記』の著者でもある。

この人工水路により、当地の水害被害は激減、桂川右岸の低湿地帯は耕作地に変わったという。

江戸時代後期の嘉永3年(1850年)、現在の神明造の本殿、拝殿が再建された。例祭は10月18日。5月巳日に神幸祭がある。

鎮守の森は、かつて「羽束師の森」といわれ、歌枕にもなった。今も境内にはクスノキの大木が何本も林立し、森の面影がわずかに残る。

なお、当社は1月に行われる近隣21社からなる乙訓鎮座神社巡りの一社である。

【ご利益】
水難除け、災害除け、厄災除け
羽束師坐高御産日神社 京都府京都市伏見区羽束師志水町
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羽束師坐高御産日神社 京都府京都市伏見区羽束師志水町の御朱印