綺原神社、機織氏族の綺氏や「苅羽田」、国宝仏像の蟹満寺に隣接
[住所]京都府木津川市山城町綺田山際16
[電話]-
綺原坐健伊那大比売神社(かんばらにますたけいなだひめ/かむはらにますたけいなだひめ)は、京都府木津川市山城町綺田山際にある神社。御朱印の有無は不明。
綺原神社とも呼ばれ、「きはら」と読む場合も。『延喜式』巻9・10神名帳 畿内神 山城国 相楽郡「綺原坐健伊那大比賣神社」に比定される式内社(小社)。近代社格では村社。
創建は不詳。この地の氏族である綺(かば)氏は、機織、養蚕技術をもたらした渡来系豪族・秦氏の先祖とも。
地名「綺田」はその昔、紙織または神織とも呼ばれ、神に献ずる衣服を織る技術者及び養蚕技術者を祀ったものともされる。
当地は、奈良時代になり、相楽郡蟹幡郷となった。この「蟹幡(かむはた)」は『古事記』においては、「苅羽田」と表記されているという。
第11代垂仁天皇の妃に、苅羽田刀辨・弟苅羽田刀辨の姉妹が記載されている。この姉妹の父の名は山代大国之淵。当地と関係があるのだろうか。
木津川の支流である天神川が山峡から平野部に出た地点の山麓に鎮座し、蟹満寺に北接する。現在地への遷座は近代になってからとも。
鎮座地は、聖武天皇の玉井頓宮跡ともされる。「橘諸兄公の井戸」が近くにある。石版は6枚が組み合わせられ、「六角井戸」とも呼ばれる。
御祭神は、健伊那太比売命(たていなだひめのみこと)。「たて」は健康、「いなだ」は稲田で、達者で農耕に勤しめるよう奉斎されたものという。
社名と御祭神名で、「大」と「太」が混同しているが、これは社名に対しても「太」を用いる説がある。なお、当然というべきか、御祭神は稲田姫命とする説もある。
長く梶原社と呼ばれていた。梶原は綺原の言い誤り、転訛とされる。近世においては綺田村の産土神だった。
明治6年(1873年)、村社に列し、明治10年(1877年)6月に式内社と認定され、現社号に改めた。例祭は10月中旬。
境内社に、天照皇太神宮・蛭子神社・春日神社二社・倉稲魂神社・天神社・九元神社・市杵嶋姫神社などがある。
ちなみに、隣接する蟹満寺は、今昔物語『蟹の恩返し』で有名な寺院。国宝の釈迦如來像を所蔵し、問い合わせれば拝観可能。
【ご利益】
五穀豊穣、事業成功、アパレル業界

【関連記事】
・京都府の神社 - 本サイトに掲載されている神社で、京都府に鎮座している神社の一覧
[電話]-
綺原坐健伊那大比売神社(かんばらにますたけいなだひめ/かむはらにますたけいなだひめ)は、京都府木津川市山城町綺田山際にある神社。御朱印の有無は不明。
綺原神社とも呼ばれ、「きはら」と読む場合も。『延喜式』巻9・10神名帳 畿内神 山城国 相楽郡「綺原坐健伊那大比賣神社」に比定される式内社(小社)。近代社格では村社。
創建は不詳。この地の氏族である綺(かば)氏は、機織、養蚕技術をもたらした渡来系豪族・秦氏の先祖とも。
地名「綺田」はその昔、紙織または神織とも呼ばれ、神に献ずる衣服を織る技術者及び養蚕技術者を祀ったものともされる。
当地は、奈良時代になり、相楽郡蟹幡郷となった。この「蟹幡(かむはた)」は『古事記』においては、「苅羽田」と表記されているという。
第11代垂仁天皇の妃に、苅羽田刀辨・弟苅羽田刀辨の姉妹が記載されている。この姉妹の父の名は山代大国之淵。当地と関係があるのだろうか。
木津川の支流である天神川が山峡から平野部に出た地点の山麓に鎮座し、蟹満寺に北接する。現在地への遷座は近代になってからとも。
鎮座地は、聖武天皇の玉井頓宮跡ともされる。「橘諸兄公の井戸」が近くにある。石版は6枚が組み合わせられ、「六角井戸」とも呼ばれる。
御祭神は、健伊那太比売命(たていなだひめのみこと)。「たて」は健康、「いなだ」は稲田で、達者で農耕に勤しめるよう奉斎されたものという。
社名と御祭神名で、「大」と「太」が混同しているが、これは社名に対しても「太」を用いる説がある。なお、当然というべきか、御祭神は稲田姫命とする説もある。
長く梶原社と呼ばれていた。梶原は綺原の言い誤り、転訛とされる。近世においては綺田村の産土神だった。
明治6年(1873年)、村社に列し、明治10年(1877年)6月に式内社と認定され、現社号に改めた。例祭は10月中旬。
境内社に、天照皇太神宮・蛭子神社・春日神社二社・倉稲魂神社・天神社・九元神社・市杵嶋姫神社などがある。
ちなみに、隣接する蟹満寺は、今昔物語『蟹の恩返し』で有名な寺院。国宝の釈迦如來像を所蔵し、問い合わせれば拝観可能。
【ご利益】
五穀豊穣、事業成功、アパレル業界

【関連記事】
・京都府の神社 - 本サイトに掲載されている神社で、京都府に鎮座している神社の一覧
コメント