古来からの伊知宮、一時期「奴々伎神社」とも、式内二社の論社
[住所]兵庫県丹波市氷上町新郷1747
[電話]0795-82-0018

伊尼神社(いちじんじゃ)は、兵庫県丹波市氷上町新郷にある神社。御朱印の有無は不明。

『延喜式神名帳』丹波国氷上郡にある「伊尼神社」「奴奴伎神社/奴々伎神社」に比定される式内社(小社)の論社。近代社格では県社

第29代欽明天皇の庚申の年の創祀と伝えられる。欽明天皇元年(540年)が庚申の年となる。丹波地方有数の古社。

丹波平原開拓にあたり、国土経営の守護神として、彦火瓊瓊杵尊を祀り、穀売大市比賣命(神大市比売命)を配祀した。

古くは伊知宮と称した。貞観(859年-877年)、寛平(889年-898年)、天慶(938年-947年)、永保(1081年-1084年)に神階昇叙があったという。

古来領主や武将の尊崇が厚く、明応3年(1494年)、赤井城主赤井伊賀守忠家が造営、弘治元年(1555年)11月18日には孫の赤井五郎兵衛太夫家清が再建、甲冑一領を奉納したという。

延宝6年(1678年)、小出伊勢守が検地を行い、当社の神宮寺である遠林寺の田畑に対する除地の記載がある。

延宝・天和(1673年-1684年)以後も当地の旗本である安藤・須田・水野氏から崇敬され、祈雨の明神として、また武運長久の守護神として、金燈篭や額面が奉納された。

沼貫庄の総社として、また西丹波一帯からの尊崇厚く、「伊知宮大明神」「沼貫神社」「正一位一宮大明神」などと称した。

明治6年(1873年)、村社に列し、明治45年(1912年)3月27日、神饌幣帛供進神社に指定され、昭和13年(1938年)7月13日、郷社に昇格した。

昭和16年(1941年)10月15日、それまで奴々伎神社を称していたのを現社号に復称、昭和17年(1942年)6月10日、県社に昇格した。

旧拝殿と旧渡殿は明治時代後期の新築で、現在の拝殿と社務所は昭和16年の建造。現在の神饌所は旧拝殿をその時に移築したもの。

例祭は10月10日。古来、「立会祭礼」と称され、西丹波地方より神輿やダンジリが当社に集まり、渡御の列に加わり、壮観を極めたとされる。

現在は、各村より神幣を奉じ、行列に加わることで古風を遺存しているという。

さて、式内二社の論社である。古称の伊知宮は現社号と式内社「伊尼神社」に近いが、昭和前期まで「奴々伎神社」を称しており、当社地はもともと「奴奴伎神社」が鎮座した地とされている。

式内社「伊尼神社」の論社は他に、市内市島町梶原の鴨神社がある。式内社「奴奴伎神社」の論社は他に、稲畑の式内同名神社と佐野の矢降神社がある。

【ご利益】
事業成功、五穀豊穣
伊尼神社 兵庫県丹波市氷上町新郷
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